「A.I.」を見てきました。マンガ版「鉄腕アトム」となんとな〜く比較しながら見てしまいました。
アトムは結局、ロボットの両親(家庭)を得て幸せになるけれど、「A.I.」のデイビッドは人間の母に愛されたいと最後まで望みます。でも、母親の立場にしてみれば、自分のおなかをいためていない子供(しかもロボット)を愛する、というのは無理があったのでしょう。人間の養子ならとにかく、ロボットなら、どこかでモノだと思ってしまうしね。結局、ロボットはロボットの家庭でしか幸せになれないんでしょうか。アトムの場合は、御茶ノ水博士がアトムの為にロボットの家庭を作ってくれたので、家族として暮らす事ができたわけです。
あくまでロボットの幸せのためではなく、人間の幸せのために家庭に入れたわけで。人間って勝手だよ、と思うような描写が沢山あった。ロボットをぶちこわすショーの場面は、まるでローマ帝国の剣奴の決闘を思わせる。そういうのを見て楽しむとは、人間は全然進歩していないんでしょうか?(アトムにもロボッティングという、ロボット同士の決闘ショーの描写がありましたね)実際、ヒューマノイドのような存在は、今世紀中には作られてもふしぎはないんです。現実問題としても人間はもっと立派にならないといけない。
愛を求めても、それがいい形で返ってこないと、孤独になるばかりですね。これは何もロボットの問題ばかりではなくて、普通の私達人間の、現実の世界でも別の形で充分起こりうる事です。あんな形でしか望みがかなわなかったデイビッドが、かわいそうで仕方ありませんでした。
アトムは人間になる(人間らしいロボットになる)ことをあきらめ、ロボットとしていかに良く生きて行くかを求めるようになりますが、デイビッドはあくまで人間になりたかった。この差は、ロボットとして生きて行く事が自分らしいと割り切れたアトムと、愛の為に自分を変えなくてはならないと思ったデイビッドの違いがあると思います。
「A.I.」と「鉄腕アトム」比較という観点で、レスをお待ちします。
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