いろんな意味で圧倒されます。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」!!
一回見終わっても、映画館を出る気にはなれず、続けざまに二回目を観ました。
ビョークが演じた主人公セルマ。
冴えない、魅力を何一つ見出せ無いような彼女は、母一人で子どもを育てる彼女の目は光を失いつつあり、次々に苦難に出会うけれど、決してたじろがずに自分の命の答えに向かって行きます。
その強さ!!彼女の選択や生き方が正しいかどうかなんてわからない。
でも、圧倒的な一途さ、否、宿命を果たそうとする彼女の姿勢に心を打たれてしまうのです。
彼女の苦難の現実は色褪せた手ぶれのあるドキュメンタリー風画面に収められ、その現実を乗り越えるエネルギーをミュージカルで培いながら夢に向かって進んで行きます。この二つの世界がまた素晴らしい演出で描かれるのです。
「現実の中では突然歌ったり踊ったりしないわ。」
といった台詞を映画の中ではやりとりしながらも、映画はミュージカルシーンの必然性を今までにない方法できっちり描きます。
そこに二つの意味で、それぞれ説得力と魅力と揺るがぬ主張が感じられるのです。
一つは主人公セルマの思いとして、もう一つはラース・フォン・トリアー監督や歌手ビョークの思いとして。
この映画を語る時、どうしてもストーリーやセルマの生き方を中心としたテーマと、ミュージカル映画のあり方や表現方法を中心としたテーマの二つに言及しないことには始まらない。しかも、困ったこと?嬉しいこと?にこの二つは、セルマがミュージカルに生きようとするストーリー上、互いに関連せざるをえないから、セルマとビョークとミュージカルは二重三重に絡まったまま観客に訴えてくるのです。
だからこそ、単にストーリーを描くだけでは得られない力強さを感じるのでしょう。
一方で、だからこそ、表現し切れない感動を超えた凄さに観客は打ちのめされた思いを持つのはないでしょうか。
この映画の魅力の何を表現しようとしても、自分の表現力の無さを感じてしまいます。それもネタバレを避けながらでは、到底無理な話。パンフレットの解説でさえ、ネタバレ回避なんてことは鼻っから考えてないんだもの。
「本稿はラストシーンに言及するため、作品をご覧になられてからお読み願いたい。」
でも、2回観終えて、2回とも涙を止められなかった私に、「ガタ、ギシ。」のシーンがこの映画の本当のラストシーンだとはどうしても思えないのです。
この映画は観終わっても終わらない。
その証拠に、私の意識の中では、未だビョーク(セルマ)が繰り返し歌い演じ続けているので候。
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