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投稿番号:49065 投稿日:2000年05月16日 13時50分11秒  パスワード
お名前:KEI
 

”命の大切さ”


地域:九州


先日のニュースで昨今の少年犯罪の増加に対して
文部省(だったかどうか)では、命の大切さを道徳の時間にしっかり
教える様早急に検討すべきとの意見がかわされた。
という報道があったのですが、
はっきりいって呆れ果ててしまいました。
”命の大切さ”って道徳の時間に学ぶもの????
命の大切さって学ぶものでなく日常の中で感じていくものでは?
まずは、命の大切さを忘れてしまっている、もしくは感じることのできなくなった
原因が何かってことから考えていかなければいけないのでは?
大人ひとりひとりがまず考えなければ子供達に伝えることはできないでしょ。
道徳の時間に責任があるのではなく、親だとか教師だとかにこだわらず
いまの社会を作ってきた子供達に接する私達ひとりひとりの
責任として認識しなければ変わらないでしょう。

何か問題が起こる度に焦点のずれを感じてしまう今日この頃です。

どうして”人を殺す”ってことの重みをかんじられなくなってしまうのでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
私なりに色々思うとこはあるんですが、いまだ漠然としているので意見としてここに
書くことはできないのですが、、、。


な〜さんからのコメント(2000年05月16日 15時29分49秒)
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な〜 です

若者は孤独感を感じているのかな?って気がします
人を殺すと言うことは単にその方だけの問題でなくその方の周りの多くの方
に悲しみを与えます。
そう言うことがわからない。
つまり自分自身が社会の中の一員、もしくは家族の一員、クラスの一員という
思いがない。
だから人が亡くなることの意味が分からない。

もしくは自分以外の人間がこの世にいなくなっても何ら困らない、と思っている。
自分だけでも生きていけると思っている
人に感謝することがない。

なんかそんな気がしてならないのですが。

JR−200さんからのコメント(2000年05月17日 06時38分02秒)
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呆れ果てるとまで言わなくてもいいような気がします。
KEIさんのおっしゃっているような気持ちがまさに必要だとは
誰もが思うことですが、文部省としては抽象的な発言で終わるような
ことではいけないですし、「じゃーどうする?」といった問いかけに
常に答える必要があるので、対策として道徳授業に「命の大切さ」などを教えたり、
問いかけたりすることは、ひとつの有効な手段だと思いますが。
(道徳の時間に先生から「一杯のかけそば」の話を聞いて感動したタチです^^;;
その時は作り話とは知らなかった^^;;^^;)

>大人ひとりひとりがまず考えなければ子供達に伝えることはできないでしょ。

↑これってマスコミが言いまくってることですよね。
でも、精神異常者の事件にも、こんなことが恥ずかしげもなく言われる
極端な状況になってますが。>今のマスコミ
少なくとも、バス乗っ取り事件で、一人の狂人に立ち向かった
立派な女の方がいらっしゃいましたし、5000万とかいうかつあげに
あっていた人を救った同じ病室の方など、大人としての道を説いている勇気あるすばらしい人は
大勢いると思います。

(言い方悪いかもしれないですが、結局、ひたすら野党精神で批判ばかりしているマスコミ
が一番の敵だと思う。「じゃあど〜すんの?」って問いには抽象的な答えで逃げて政府批判してるの
って多いじゃないですか。批判の対象が政府だとオウムみたいに訴えられることないから
常に安全圏でえらそーな批判いえるし。まーそういう立場も次第に呆れられてる状況になってると思いますが。)

結局、子供に道を教えるというようなことって、子供に絶大な人気がある人じゃない限り
自分たちの周りの範囲で実践していくしかないわけで、政府がどう言ったとかいうことじゃ
ないと思うんですよね。私としては、マスコミが政府の言動に騒ぐのは分かるんですが、
一般のKEIさんの人まで政府の発表に目くじら立てる必要もないと思うんですがどうでしょう?
 
 個人的には、ガキが極悪非道なことやらかすたんびに、何か大人全体の責任にされるのは、もう
すごいうんざりですね。自分なんか小中高とかなりいじめの経験を受けたものなんですが、
それが大人のせいなんて思ったことないですし、先生なんかハナからあてになんか
してないし、眼中にないって感じで。まして世間のせいなんて、そんな飛躍したこと思ったことないですよ(笑)
だから、大人がしたり顔で大人のせいだとか、ましてや政府のせいとかにすると、
「あー、また事件をネタに自分の時代遅れのイデオロギー押しつけてるわ」ってな感じで
思いっきり笑ってます。

最後ですけど、私としては道徳の時間に、「一杯のかけそば」とか^^;;
バス乗っ取り事件で命を落とした女性のこととか、病人なのに体張って
かつあげされてる子供を守った方の話を聞かせるのは有効なことだと
思いますよ。

はんまーさんからのコメント(2000年05月17日 07時58分52秒)
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まぁ確かに命の大切さというのは日常で学ぶものかもしれません。しかしながら、そうした機能が社会から薄れてしまっている昨今ではひとつの方法としては道徳の時間を使うということになるのでしょう。政府がなんとかしたいと思った時まず一般社会に向けて「命の大切さを教えましょう」といっても曖昧ですから、形として考えると道徳の時間に学校で教えるという形になるのではないでしょうか。

>大人がしたり顔で大人のせいだとか、ましてや政府のせいとかにすると

今少年法を逆手にとって人を殺す人間にとって、これも逆手に取れる餌ですよね。なにをしても自分の責任ではなく大人の責任だといっていれば罪の意識をもつ事もない。

な〜さんからのコメント(2000年05月17日 10時44分48秒)
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な〜 です

>確かに命の大切さというのは日常で学ぶものかもしれません。しかしながら、そうした機能が社会から薄れてしまっている

こういう機能を取り戻すにはどうすればいいのでしょう?

変な宗教がはやるのもその性ですかね。

個人的に道徳の時間で習ったことで覚えているのは一つあります
「後ろ足で蹴るかもしれない馬の後を通った子が通らない子に勇気がないと言った。
でもその子は違う場面で順番を割って入ってきたチンピラ風の人に
それは悪いことだと注意した。
これが本当の勇気だと道徳の時間に教えた」

道徳も捨てたもんでもない。
ただ学校崩壊とか言われているのにまじめに聞いている生徒がどれだけいるのだろうか
現場がわからないので何とも言えない。

個人的には社会が悪いとも思っています
まず最近個人主義が尊重され個人が社会に交わる機会が少ない
隣は何をする人ぞ、と言う風刺が10年前あったけどいまや
当然なのかもしれない。
町内会なんかは面倒くさい。それって何をする会なの?
自分が楽なら良い。人の世話なんかしたくない。そんなの好きな人にさせておけばいい
(そう言う人たちのおかげで現在の生活があることは気づいていない)

家族においてもそう。個人の集まりにしかすぎない。
家族のが死んでも関係ない、ましてや他人おや、

そんなことって無いのでしょうか

この子は絶対非行(適切な言葉でないかもしれませんが)
に走らないだろう、そう思う親子って見ますから。
お父さんは忙しそうにいろんな行事に参加してるし、親子も仲良いですよ。

うちの手伝いをしている子は非行に走らないように思うのは偏見でしょうか?

KEIさんからのコメント(2000年05月17日 14時01分26秒)
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>呆れ果てるとまで言わなくてもいいような気がします。
>対策として道徳授業に「命の大切さ」などを教えたり、
>問いかけたりすることは、ひとつの有効な手段だと思いますが。

その通りだと私も思います。
では、いま道徳の時間にそれやっていないと思いますか?
やってるはずなんですよ。

JR−200さんが”一杯のかけそば”に感動されたのは
確かに、その話し自体が良かったのかもしれませんが
きっとそれを話して下さった先生の感動が伝わったからだと私は思います。
”一杯のかけそば”に何の感動ももたなかった先生が話して下さっても
感動できたと思います?
道徳で何を教えるかでなく、どう伝えるかってことが大切では?
教師が命の大切さを実感していないことには伝わらない。
そういう意味でまずは大人が心を取り戻さなくてはって思いませんか?
子供達に中身のない言葉は通用しないですよ。

>大人ひとりひとりがまず考えなければ子供達に伝えることはできないでしょ。

  言葉が足りなくてすいません。これは大人に責任があるって意味ではないのです。
  子供ってまずは親の背中をみて育つと思いません?さらに親だけでなく、
  おじいちゃん、おばあちゃん、先生、友達の両親、近所のおじさんおばさん、
  と世界が広がっていく。身近な大人を道しるべにそだっていくのでは?
  つまりは大人ひとりひとりの生き様をみて子供達って育っていく。
  だから、子供のために何かしろってことではなく、大人自身が自分自身の幸せってものを
  今一度見つめ直したら?って考えるんですよ。

  居心地の悪い所にさあ、君も頑張ってここまでおいでっていえないでしょ?
  まずは、自分らの生きている世界を”結構いけるかな”って思えないことには
  子供らを誘えないでしょ。
  って思うわけですが、うーんうまく表現できてないかな?

JR−200さんからのコメント(2000年05月17日 17時18分42秒)
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また暇つぶしで来てしまいました^^;;(試験あるのに(笑))

>大人自身が自分自身の幸せってものを
>今一度見つめ直したら?って考えるんですよ

KEIさんの言いたいことはよく分かります。ただ、今の状況って
あまりにも大人が譲歩してるという違和感があります。何かあるたびに大人の社会が
どうとかって言われすぎてるから、ちょっと本なんかで偏った知識つけた頭いいのを気取った子供が
大人も大したことないなんて思いすぎているフシがあるような気がするんですがどうでしょうか?
実際、おもいっきり現実的に言っちゃえば人間なんて子供も大人も
誰もすっごい卑怯だったり卑屈だったりするわけですし。
ただ、子供に大して向かい合う時は、ある意味、大人はえらいんだってことを去勢を張ってでも
示さないといけないと思うんですよね。いくら大人が辛いと思っていても。
結局、子供も大人になれば、成長していく過程で大人の辛さとか生きるための巧妙さなんかを理解してきますし。
私的には大人から子供へのメッセージとして
「大人はこんな楽しい人生送ってるよ〜♪。だから君も楽しく生きようよ。」
的ないい方より
「オレも辛い人生生きてきてるんだよ。でも前向きに生きてるよ」
のほうがよっぽど良く伝わると思うんですが。しかし大人(今の親か?)はそれをやらないで
ニヒリズムに浸っちゃって「人生なんてこんなもんだよ」とか「社会が悪い」とか自分にとっては
子供の言い分にしか聞こえないようなことを言ってるから
なんか大人と子供の領域ってのがあやふやになってるような気がします。(大人になりきれない人間が多いってことかも。自戒も込めて^^;)
 同様に、なんだか子供の心をケアしなければならないとか、いじめ問題をきっかけにして言われてますが
自分がいじめられた経験から言わせてもらうと(まー、このときは自分もすげーガキだったので今思えば
いじめられるのもある意味やむなしだったか・・と思ってるんですが^^;;)
(いじめられてる)子供のケアが必要だとか、精神科が子供の代弁者みたいに、テレビ出てきて言ってるのみると、
ハッキリ言って「全然分かってねーな」って思っていらいらするんですよ。
 「余計なお世話だっての。そんなことされたら余計陰でいじめられるよ」なんて思います。実際
大人の介入でいじめがなくなるなんていうのは、それほど大したいじめじゃないと思いますし。
親切ぶって適当なこと言ってるなよ。くらいに思うんじゃないかな〜。

結局大人が悪いって結論になるような気がしますが^^;自分の場合は
子供の事件をきっかけにして「大人自身が自分自身の幸せってものを今一度見つめ直す」とか「大人が心を取り戻さなくては」なんて大人が言い始めたらそれこそお笑いだし、情けなさすぎだと思いますね。ガキの事件で大人が学んでど〜すんの?って感じ。少なくとも子供には「オレも辛いけどお前もがんばれ」的な言い方をして
凶悪犯罪を犯したガキには、この世界で生きていくための最低限の礼儀ってのを刑によって示すべきだと思います。

 それとKEIさんは今の先生に心がない・・と言っているようですが、私に言わせれば
今も昔も大して変わらないんじゃないかな〜。と思いますね。先生なんてハナから
あてにしてませんでしたし、「一杯のかけそば」を読んだ先生は、金八気取りながら
実際はクチだけという、嫌いな先生でしたから。(笑)まー、自分の場合は別に先生に期待なんか
してないし、生活あるんだから、あんまり生徒のことに構ってられないよな(構ってもらいたくないし(笑))
ってな感じに思ってました。そんなに気持ちを込めて紙芝居やさんみたいに物語を語らなくても
伝わると思いますが。

KEIさんからのコメント(2000年05月17日 17時56分59秒)
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すいません、やっぱり自分の言いたいこと表現できてないみたいです。
私の考えている子供ってまだ、自我に目覚めていないだいたい10才以下(ともいいきれませんが)の
子供のことを考えていっていたもので、、、。
小学生高学年、中学生以上にはもう自分の考え方ができあがっているので
むしろ大人も自分らと同等として向き合うべきだと思いますし、子供自身も自分の言動には
自分で責任をとる厳しさは絶対必要でしょう。
だから、私の言っていることは青少年を擁護したいんではなくって、
あくまでもひとつの各論と理解していただきたい。

>「オレも辛い人生生きてきてるんだよ。でも前向きに生きてるよ」
っていうのいいと思いますよ。
そう言い切れる生き方を考えるべきでは?ってこといいたかったんですよ。
それと、私のいっている幸せって楽しいことじゃないですよ。
JR−200さんのいうところの前向きな生き方ができるってことが
幸せだとおもうんですけど。
子供に対して君らにはどうみえるかわかんないけど私らは精一杯やってんだ!。
色んなこと乗り越えてきてんだよ!
っていう姿勢が必要なんじゃないかなと。
お仕着せの価値観を信じて、路頭に迷ってふらふらしている大人に何いわれたって
子供には響かないってことがいいたかったんです。反面教師だっていいんですよ。
何かんがえてっかわからない、子供の顔色伺っているような姿勢が青少年にとって
一番嫌なんじゃないかな。
それから、今の先生に心がないんじゃなくって個性を発揮できる環境にない
ようです。本音で生徒に向かえない。
学校の制度にも問題あるんでしょうが、
生徒が先生に対して敬意を払っていない気がします。
それって解決策ってあるんでしょうかね。

子供の頃いいなッて思ってた先生ってとにかく
一生懸命で、喜怒哀楽がはっきりしてて
けして人格者ではなかったですよね。
子供って、生の声がききたいんだと思いますよ。

な〜さんからのコメント(2000年05月17日 18時21分26秒)
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な〜 です

私は
>ただ、子供に大して向かい合う時は、ある意味、大人はえらいんだってことを去勢を張ってでも
>示さないといけないと思うんですよね。いくら大人が辛いと思っていても。



>子供ってまずは親の背中をみて育つと思いません?

は同じ事だと思っています。

子供の前では愚痴を言わない、人の悪口は言わない、けんかをしない、
私のうちではそうだった(事が多い)

これが大切かと。

keiさんからのコメント(2000年06月06日 22時11分38秒)
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あるHPで現役の先生が語られていた言葉に
”被害者意識が強い者”が”いじめに走るのではとありました。
俺はお前のせいでこんな不愉快な思いをしているのだからお前がいじめられて当然
というような理屈になるようです。
そういわれれば、バスジャック犯も非常に被害者意識が強いように感じられます。
彼にとってバスの乗客すら加害者だったのでしょうか。

JR−200さんからのコメント(2000年06月29日 18時15分38秒)
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その先生はいいとこついてますね!
被害者意識が強い人間・・確かにその通りですね。
同時に自分はそういう人間が非常に嫌いなので
こういう犯罪に敏感になってしまうんだろうな〜



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