[デーブ川崎の居酒屋一覧に戻る] お名前:店長川崎
地域:その他 日本では公教育が圧倒的に主流を占めていますが、 今後公教育(公立学校による教育)をすすめる意義はどこにあるのでしょう。 もっと私学が許可されて、教育内容に自由度が与えられる状況が必要なのではないでしょうか。 ただ、教育内容の自由化は、思想教育の野放しになるかもしれません。 幕末〜明治にかけて新しい思想を育てたのは私学校という教育基盤でした。 (もしかしたら学校がクーデターを起こすかもしれないわけです) 諸刃と言われる「イデオロギー教育の自由化」についても意見を述べて下さい。 また、義務教育というのもクセモノです。 学習の機会均等の手段として機能してきた「実績」は認めますが、 果たして義務教育の内容・質について、現在のようなキツキツの基準範囲で 有効なのか。 |
な〜 です
基本的に義務教育は集団生活を身につけるところと思っています
集会の時人の話を黙って聞く(とまではいかなくても無駄話をして
周りに迷惑をかけない)とか
君が代を歌わない生徒の多くが「強制されるのがいやだから」
と答えていたけど、
何か違うんじゃないの?
って思えます。
社会にでて「強制されるのがいやです」って言って通用するんかいな?
先生だけでなく生徒も親も考え直すべきでは?
私は義務教育でないけど校則を見直して
入学時に校則を生徒、保護者に説明し、違反した場合は
規則に定めた罰則があるということを納得した上で入学する
という契約制(労働契約と同じ)にしたらどうかと思っているのですが。
当然校則自体も見直さないといけませんが
私は、日本の義務教育を基本的に評価してます。
国民のほとんど全員が「読み書き計算」出来るのも義務教育のおかげです。
(これって、凄いことだと思う)
よって、「義務教育」の機能とは、どんな子供だろうが「読み書き計算」を
習うことができるという点にあると思います。これは捨てるべきではない。
しかし、現在の義務教育はどう見たってうまくいってませんね。
これは「受験」と「躾」の問題が大きいのでしょう。
私は「受験」については私学に、私は「躾」については親に任せても
良いのではないかと思っています。
まず受験についてですが、受験戦争が起こる理由は、官僚や大企業が高学歴の
人間を採用する傾向にあるからです。大企業についてはさすがにこの不景気の中
「高学歴=できる社員」でないことに気付き始めた。実際、役員の中に東大出身者
の占める割合の高い企業ほど、不景気から脱しきれないというデータもあるようです。
(別に東大が悪いというわけではありません)
問題は官僚です。なぜ彼はいまだに学歴にこだわっているのか。
官僚こそ、学歴採用を一切止めるべきです。
そうすれば受験戦争、つまりは教育問題のほとんどが解決するでしょう。
これが実現できれば、大学は真に学問を学びたい人間だけ集まるようになる。
そうすれば、今のバカみたいな受験戦争は消滅するでしょう。そうなったときには
「受験」は私学に任せて問題はないと思います。さらに学びたい人はお金を出して
学べば良い。
さて、次に「躾」についてですが・・・これは難しい問題です。
ただひとつ言えることは、今の子供達はあまりに「自由」を与えられすぎている。
これは戦後の教育の賜物なんでしょうが、親からして「自由」は無条件に素晴らしい
ものと思っているフシがあります。
自由であることが当たり前すぎて、本当の「自由」の価値を知らないんですね。
その意味において、な〜さんのおっしゃる、
>君が代を歌わない生徒の多くが「強制されるのがいやだから」
>と答えていたけど、
>何か違うんじゃないの?
この意見に賛成です。
君が代のイデオロギー的問題は置いといて、「強制されるのがいやだから」ってのが
全然理由になっていませんね。
そもそも「君が代」の何が問題なのか判っているのでしょうか?
何かのテレビのインタビューで街を歩いている学生に
「太平洋戦争中、日本と韓国の間になにが起こったか知っていますか?」
という質問に対し、多くの学生が「知らない」と答えていました。
そのテレビでは「戦争で日本が犯した過ちを教えていない」と言いたかった
ようですが、はたしてそうなんでしょうか?
「知らない」と答えた学生は、日本と韓国のことだけを知らないのではなくて
「歴史」そのものを知らないんですよ。きっとアメリカの南北戦争のことや
イタリアのルネサンスのことも知らないのでしょう。
教育そのものが歪んでしまっているような気がします。これは根が深いな・・・
小学校では円周率が3と教えられるようになるようですね。TVを見ていたら、
筑波大の先生が出ていてこれらの事についてコメントなすっていました。
(名前は失念)
氏がいうには思考能力と情報量には関係があって、情報量の上に思考が成り
立っているとのことです。実際に推し量る為の指標があるかどうかについて
は触れませんでしたが。
ともあれ、それが事実ならキツキツの詰め込み教育で何が悪い、となります
ね。詰め込みを拒否しては最低限の思考すら成り立たない可能性もある、と
いうわけです。
面白い(おっかない)話を一つ。
いい大学を出て一流企業に入って…という神話があった訳ですが、学生に人気
の某元国有企業では、上に上れるか(あるいは生き残れるか)どうかは入社前
に決定しているとのことです。
つまり人数が多くては一人一人評価できないから、最初から人を決め打ちで育
ててしまう訳です。僕の人生知れたものという台詞がありますが、人気企業ベ
スト10なんてのを見る限りでは、自覚していない学生が一杯いるわけですね。
勿論将来にあぶれた人のための行き先があって、恐ろしいことには平社員が一
人もいない部門があります。逆に言えば、本部長より部長の方が偉かったりし
ます。
こういう社会の真実を見るにつけ、身に付けるべきはリーダーシップと仕事の
手順を追える思考能力(あるいは経験)だなぁ、とつくづく思いますね。
日本の義務教育は小中学校あわせて9年と長いのですが、この長い年月で
どれだけ効果的に必要な物事を教えることができるのか。
実際私も義務教育を受けて、現在社会に出て特に役に立っているのは算数・国語・社会
の一部分くらいでしょうか。役に立たない授業もたくさんありました。
私が義務教育を受けていた頃は漠然と「先生の教えられることは全部できないと」的な
スタンスでしたが、今思うと疑問を感じます。そんな教育で仕込まれた子供は、能力の
差こそあれ、みんな同一の、個性の無い知識しか身につかないのでは。
小中学生で将来の目標をもち、必要な知識を自分で身につけるべきと思います。
小学生低学年あたりから将来の目標について自覚を持たせ、必修科目意外は専攻したい
科目を選択させる、といった感じで。高専や大学では当たり前のシステムですよね。
実現は大変難しいでしょうが、各分野において有能で独創的なスペシャリストが
増えるかもしれません。
また、教育の場では、道徳、社会の常識などの教育もとても大事なことと考えます。
それを考えると、学校の先生方の背負う責任も非常に大きい。
新聞の三面記事に載るような不祥事は絶対に慎んでいただきたいものです。
体罰を与えると大問題になってしまう現在の風潮にも?ですね。悪いことを悪いと
教える場合、ぬるい説教だけでは効果は無いかもしれません。
KORNさんもおっしゃっていますが、官僚や大企業が高学歴の人間を採用する傾向にある、
というのも問題だと思います。「高学歴」=「仕事ができる」方程式は、必ずしも成り
立たないものです。
私の会社(ソフト開発)のエースは普通高校卒で普通の会社に就職し、挫折したそうです。
当社に就職してからがんばって一から勉強してもらい、今の位置にいます。
面接にて社長の採用の理由は、「炎のようなものを感じた」からだそうです。
人間が育っていく上で、基本的なこと・・・親の躾は無視できません。
「自由」と「わがまま」は紙一重ですね。ルールの無い自由は単なるわがままです。
子供は親の背中を見て育つ、とかいいますが、私もしっかり躾をしたいと思います。
>君が代を歌わない生徒の多くが「強制されるのがいやだから」
>と答えていたけど、
>何か違うんじゃないの?
わがまま意外の何物にも見えません。
な〜さんもおっしゃっていますが、
>社会にでて「強制されるのがいやです」って言って通用するんかいな?
通用するわけありませんね。クビー再就職を繰り返す実の無い人生になってしまうでしょう。
難しい問題がテンコ盛りですね。
>小学校では円周率が3と教えられるようになるようですね。
コレでいいのでしょうか?
本当なら、筑波大の先生のアタマを疑ってしまいます。
円周率のような割り切れない数値を用いた計算結果では、小数点○桁以下四捨五入の
影響による誤差以外は出てはなりません、絶対。
もし仕事でやっちゃえば、クレームの嵐です。
至極基本的なことと思うのです。これは。
円周率を理解する前に、四捨五入を理解しなくちゃ。
物事覚えるには順序もあります。
お尻ふいた紙で鼻かめないでしょ。(逆はOKだけど)
#円周率が整数になるように四捨五入してるんだったら、笑っちゃいますけど。
>本当なら、筑波大の先生のアタマを疑ってしまいます。
いえ、この方は3.14を3とする新指導要領に反対していました。円周率の話
そのものは私の論旨ではないので端折っています。悪しからず。
さてさて、日本の識字率は9割9分近かったと思いますが、だからといって
日本は教育水準が高いわけではないようですね。
ちなみにインドでは識字率が3割程度だそうです。一方、インドで九九と言
えば、1から9ではなくて、*1から99*なのだそうです。(1*1〜99*99)
ちなみにインドで字が読み書きできる人は、この九九も出来るようです。
インドの人口は6億で、その3割とは…。インドがソフトウェア大国になる
理由もわかる気がします。
●ここからは邪推です。
仮定:「国策に関わる人間は、もはや教育の機会や質が公平かつ高水準である
必要がないと思っているかもしれない」
理由:
製造業の立場でいえば、作業者の教育水準とは製品の質に直結する問題なので、
製造業が盛んな国においては国民の教育水準を高める必要がある。しかし、製
造業が落ち込んだ国はどうするだろうか。
企業は、直接利潤を生まない間接部門に多大な投資はしない。しかし、間接部
門に対してやむを得ない支出があるならば、どこかの予算を減らさなければな
らない。
組織論(真剣に勉強はしていません)を逆手にとった割り切りが出来るならば、
真面目な人間(あるいは利益を生む人間)は全体の20%程度として、この人た
ちに対して投資を集中する。残りの80%に対する予算は減らす。
老人介護福祉の増大と出生数の低下によって税収が減ったならば、国は無い袖
は振れないのだから、何かの予算を減らす必要がある。あるいは公的サービス
を民間に任せてしまうかもしれない。
結論:よって国としては、
・教育の機会は与えるが、予算も必要もないので水準は落とす。
・富める者は必要に応じて公教育以外のサービスを利用せよ。
(そのために塾を補助的な教育機関として認めた)
となる、かもしれませんね。
介護制度なんか見てても、「制度は作ったが予算が足りないから限度を設ける
よ、足りない分は自分で何とかしてね」的発想に基づいているように見えます。
そのうち教育にも新たな限度が設けられるかもしれません。
”義務教育”という話題からはちょっとそれるかもしれませんが、
某医大の実習生が教官にしばしば質問に来るので
なんと熱心な学生だと思っていたところ
各班に質問担当の分担制度みたいなものがあって資料を作って回す みたいなことを
やっているとのこと。
試験を目標とするのであれば非常に合理的な方法ではありましょうが、
臨床実習というのは医者になるための1stepであって医療というものを
肌で感じる場であることが第一義のはず。
カリキュラムをこなせばよいってものではないでしょう。
自分で考え、自分の耳で聞き、自分で感じなければ意味がないのでは?
それから、なんでもかんでも質問されるものだから
”それくらいは教科書をみれば書いてあるでしょう、自分で調べたら?”
といったところ、
”先生は私たちに教える義務があるでしょう”と切り返されたとのこと、、、。
なんだか、学力以前に学ぶ姿勢ってものが崩れてきているようにおもっちゃいました。
どうなってるんでしょうか、、、、。
そして、どうなっていくんでしょうか、、、。
>幕末〜明治にかけて新しい思想を育てたのは私学校という教育基盤でした。
>(もしかしたら学校がクーデターを起こすかもしれないわけです)
>諸刃と言われる「イデオロギー教育の自由化」についても意見を述べて下さい。
長州男児としては血が騒ぎますな(笑)
そのような私学校ができるのなら、私自身が通ってみたいところですが、
現実問題として国語教科書や歴史教科書の選択なんかが問題になってくるのでしょうか。
しかし今の日本人は、公立校で国旗国歌が義務付けられただけで大騒ぎになりますからね。
イデオロギーに対するアレルギー(?)が強すぎるのかな・・・
さて、どうなることやら。
それにしても、公立校の公式行事で国旗国歌がでてくるのが、なぜいけない
のでしょうか?(ま、確かに「君が代」なんかあまり良い曲ではないけど)
「日の丸・君が代」でなくて国旗国歌自体が駄目といった論調も多いのですが
(強制する事がいけないのか?)、私には今一つ理解できません。
子供を束縛せず自由にさせる事が子供の才能を伸ばす、と言いたいのでしょうか。
しかし、たかが国旗国歌を強制させられたくらいで消えてしまう才能なら、
所詮その程度の才能なんじゃないでしょうか。
大人が最高の状態を作り上げないと発揮できない才能なんて、実社会に出たら
何の役にも立ちません。本物の才能はどんな状況であろうと表に出てきます。
(個人的には、束縛された悪条件の方が才能は伸びると思う)
国旗国歌が正式に制定された事で「日本が軍事大国化する」と思っている人も
いるようですが、国旗国歌が制定されるとなぜ軍事大国化するのでしょう?
(それ以前も、日の丸・君が代は国旗国歌の代用として使用されていたはずですが・・・)
強制する事が「軍隊的」なのかな?
それなら「高校野球」はどうなんでしょう。毎日鬼のようにしごかれているし
大会では一糸乱れぬ行進をさせられ、あげくのはてに「校歌」まで歌わされている。
なぜか、OBや地域の人まで目の色変ってるし・・・
こっちのほうがよっぽど「軍隊的」に思えるんですけど。
(だから悪いという訳ではありません ← 個人的意見)
このまま高校野球を続けると、日本は軍国主義への道を進むのではないだろうか!?
なぜ、マスコミや教育団体は高校野球を批判しないのだ!
【答え:主催が朝日新聞だから】
KORNさんの意見に賛成です。日本アレルギーの人が、どうせまた裏で動いているんでしょうね。
あいかわらずの右左でしかモノ考えられない化石人間とか。今は左のほうがヒステリック気味かな。
学校の国旗・国家でギャーギャー言ってるような人間じゃ、まー、才能発揮どころかどっかの宗教かなんかに
からめとられるのがオチでしょうね。ホントに才能ある人間だったら、国旗・国家を掲揚しようがしまいが、
全く無関係で心の中でひそかに才能磨いてると思うんですが、ヒステリックに反対してるのが、どうしようも
ない昔ながらの運動やってたような人間だから全くわかってないんだろうな。あ、「子供の自由を侵害する」って
言い方も、結局自分たちのイデオロギーを満足させるためってことを分かってて使ってるのかもね。(分かってなかったらさらに悪質・・)
だいたい、自分の中学・高校時代に国旗・国歌掲揚に関してなんんらかの違和感持ってた人っている?
別になんとも思わないし、校歌みたいに歌うの面倒だから歌わないとか、そんなレベルでしょ?
今反対してるガキなんてどうせサヨク教師に言われたことを鵜呑みにして
一面しか物事見てないで思いこんでるような青臭いやつばっかじゃん。
まあ、子供は大人の鏡っていうし、大人に利用されてるだけなんだろうね。哀れとしかいいようがない。
ただKORNさんの
>問題は官僚です。なぜ彼はいまだに学歴にこだわっているのか。
>官僚こそ、学歴採用を一切止めるべきです。
>そうすれば受験戦争、つまりは教育問題のほとんどが解決するでしょう。
これはちょっと納得できないですね。受験勉強などをやってきて分かったんですが、
自分の場合、受験勉強って忍耐力を養うものだと思ってますんで。
(自分の中では中学受験は行き過ぎだと思うので却下)高校・大学といった受験をくぐりぬけてきた人達ってのはやっぱりそれなりの修羅場をくぐってきてるわけですし、実際学生で認められるものといえば一般的に勉強じゃないですか。他のことに興味があって才能のある人なら、そんな体制に影響受けないと思うんですが。逆にいえば
そのくらいで影響受けるようならたかが知れてる才能だと思うし。
官僚制度って結局は真に才能ある人達を除いた一般人の中から優秀な人を選ぶって手法で、有効なやりかた
だと思いますし、才能のあるなしは別でしょう。
今はもう第三次産業が大幅な割合をしめてるから、自分の考え次第でどうにでもなるし、
学校のほうが多少遅れてるだけのような気がするんだけど・・。
それを踏まえた上で、真に才能のある人達を、違う分野からひっぱってきて高給で雇うという形が
いいんじゃないかと思うんですが。
どうも、官僚制反対とか、外野がワーワー言ってるとしか思えないなあ。
官僚制や受験も一つの手段であって凡人でも努力すれば報われるといったシステムで良いと思うし、
(勉強しとけば良いって風潮があるのは大問題だけど・・やっぱ結論は自分の中ではいつも親にいきつくんだよな〜)
研修で公的な職だということを頭に叩き込んで、
国の金を私的な利益の目的で使った場合には禁固刑とか、厳しい法律を作ればいいだけだと思うんだけど。
とにかく今の刑罰が軽すぎるのが問題だと思う。。さすがに中国みたいに死刑とまでは言わないけど。
↑
ちょっと最初のほう、感情的に言いすぎたかな。。別に反サヨクとかでもないですからね^^;
JR−200さん、こんにちは。
ご意見興味深く拝見しました。いや〜、ほんとに興味深いです。
ちょっと言葉足らずでしたが、私も受験勉強自体を否定しているわけではなくて、
(私も一応“受験戦争”をくぐり抜けた人間なんで)大学での学問が、就職の為の
手段になっている状況が気に食わないのです。学校は学問が目的であるべきです。
特に官僚においては、学歴がその後の出世までも約束してしまっている感があります。
これが「学問」に対する認識を歪めているのではないでしょうか。だから
>官僚制や受験も一つの手段であって凡人でも努力すれば報われるといったシステムで良いと思うし、
これは全く同感です。本来そうあるべきでしょう。
私は「エリート」は必要だと思っているので、官僚の中にも才能(結果として学歴も)
のある人が必要だと思うのですが、現状では「学歴だけ」あれば組織の中で優遇されて
しまっている。そこが問題だと思うのです。
ところで、「才能」に関するJR−200さんの意見全般は、私にとって共感できます。
日本は「平等思想」が染み渡っているので、こんな意見にはなかなかお目にかかれない
のですが(苦笑)、やはり人間の能力は「平等」ではありませんよね。
自分の能力を客観的に認識することは、自分が幸せに生きるための重要な条件でしょう。
>やっぱ結論は自分の中ではいつも親にいきつくんだよな〜
う〜む、これも同感です。
私は自分が「天才」でないことを理解できているので、それなりの幸福を得ています。
私の子供達も親以上の才能は無いでしょう。もし親以上の才能を発揮し出したら、
それは子供が親以上に努力したということです。
目の色変えて子供を塾に送り出している親御さん達に、この法則をわからせたいですね。
な〜 です
>目の色変えて子供を塾に送り出している親御さん達に、この法則をわからせたいですね。
こういう親御さんは今の自分を不幸せと感じているのでしょうかね
子供にだけはこんな苦労味会わせたくないって?
それとも周りの子がみんな行っているから仲間はずれにさせたくないのでしょうか
疑問だ?
KORNさんと自分はほとんど同じ意見・・っていうか全く同じですね(笑)。
>特に官僚においては、学歴がその後の出世までも約束してしまっている感があります。
>これが「学問」に対する認識を歪めているのではないでしょうか。だから
そうですね〜。確かにそうだと思います。
ただ、どう変えていくか・・って話になると、これがメチャクチャ難しいんですよね・・。
自分の頭で考えても、あっちを立てればこっちが立たず・って状況になっちゃって
回答がでません。。例えば、学校で私欲だけじゃなく、もっと国を愛する心とか、公共心ってやつを教えて
いけばいい・・なんて考えも浮かぶんですけど、そうするとまた、それは全体主義に走る!とか
一つの考えを教えるのは危険だ!とかいう意見が後から後から出てきてすぐ消されてしまうし。
なんせ、国旗が上がる上がらないだけでギャーギャー言ってる状況ですからね。。
国立の小学校の教師なんかは、ほんと鳥肌たってきます。
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