[デーブ川崎の居酒屋一覧に戻る] お名前:店長デーブ川崎
地域:その他 日弁連から日本での陪審制度導入についての提案がありました。 現在日本では数少ない判事によって多くの案件が処理されているわけですが、 それに伴う「判決までの時間のかかりすぎ」などいくつかの問題点を 解決するための手段だ、ということで提案されています。 陪審員による裁判にするか裁判官による裁判にするか選択できるように する、という提案もされているそうですが.... しかし、日本で陪審員が判決を下すような裁判ができると思いますか? ちょっとここで陪審員による裁判の長所と短所を確認して、日本の社会で このやりかたが馴染むかどうか、そして、 これは誰にとって有利なのか、考えてみませんか。 皆さんの意見を求めます。 |
このテーマはあまり詳しくないのですが、思ったことをつらつらと書いてみます。
>「判決までの時間のかかりすぎ」などいくつかの問題点を解決するための手段
アメリカの裁判が日本より時間がかからない理由は「陪審員制度」のおかげではなく
「絶対神による一神教」の影響が強いのではないかという気がします。
アメリカでは裁判のとき、必ず「神」に宣誓しますよね。
一神教の国では「絶対的な審判」という概念があるので、裁判の結果に「神」の
権威付けが出来る。しかし“和の国”日本では「本当に決めてしまって良いのか?」
という疑問が際限なく付きまとってしまって最終的決断に時間がかかる。
仮に「陪審員制度」を導入しても、今度は「この陪審員で本当に良いのか」と
議論が繰り返されてかえって時間がかかるような気もします。
時間を短縮するのなら、優秀な判事を数多く育成した方が良いような気がします。
しかしこの「陪審員制度」、個人的には非常に興味があります。
より公平に、より国民感情に即した判決を、という観点からすると
「裁判官制度」より有効なのかもしれません。
アメリカ映画『12人の怒れる男』のように毎回ギリギリまで妥協しない
協議が行われるのだとすれば、理想的な制度になり得るのかもしれない。
しかし、その場で徹底的に議論することが苦手な“和の民族”日本人に
使いこなすことができる制度なのか、大いに疑問ではあります。
よって個人的には、現行の裁判官制度の運用方法を改善する、
というやり方が最も現実的な方法なのではないかと思います。
現在色々と問題になっている「キャリア制度」ですが、
判事の出世のシステムもこれに近いものがあるようです。
現場感覚を磨くよりも、最高裁判所の方を向いて仕事をした方が評価される。
その結果、国民の感覚と判決が乖離していく・・・
優秀な判事をどのように養成していくのか、これがポイントになるのでしょうか・・・?
ああ、それから最高裁判所の裁判官って選挙時に国民によって信任・不信任の投票が
なされるわけですが、あれって機能しているんですかね?
事前に提示される情報が余りに少ない。その上、わからないから“白紙”で出すと
自動的に“信任”になるんですよね。投票時に意識的に“×”にしない限り不信任
にはならない。これでは国民の方を向いて仕事してくれないよなあ。
(国民の人気投票になるのは問題だと思うが、現状はあまりにもチェックされてないのでは)
白紙で投票すると自動的に“不信任”になるようにすればかなりの意識改善になるかも?
素朴な質問をよろしいですか?
陪審員はどのように選定されるのでしょうか?
お教え下さい。
本当はアメリカのような合衆国よりは馴染みやすい制度だとは思いますよ。
単一民族で、単一言語(新潟弁は?ってやめてね)だから、比較的いろんな意味で差違が少ないからいいかも。
でもその分だけ、また「なあなあの世界」が出来上がるのも見え見え。
それに平穏なように見えても、単一民族ゆえの「わかるわかるその気持ち」で結構意見がきっちり分かれるし
ウエットな日本人には、別な意味で難しいかも知れませんね。
陪審員制にしたら、いやらしい息を吹きかけるモノがごっそり出て来るような気もしますけど。
裁判官なり判事なりの絶対数が少ないのが原因ですよ、抱えてる量が多いですね。
化石遺物のような法律におんぶして適用してるし、かえって弁護士のほうが数多いし、若いし、法の知識も柔軟に運用してる以上、長引いても当たり前でしょうけどね。
でも、国家公安委員会みたいなジジババの組織で、陪審員構成になるのがわかっているから今のところは大反対ですよ。
結審が早いとか遅いの前に、そんなコトしたら「あんたたちに言われたくない!」って被告に言われる事になって、ますます長引く気がします。
制度の問題ではないと思いますがねー私は、数の問題ではないかなぁ、「裁く・決めるの」人達の不足。
そっか、そうするとまたキャリアが増えるんか・・・。
いっそ弁護士さんが判事にはなれないの?。
チャパさんへ
日本の裁判官は外国に比べると一人が裁く件数が以上に多いのです。
そして何より約三年ごとに人事異動があります。だいたい裁判官は社宅みたいなところにすんでいてます。
膨大な量の裁判を裁く為にはほとんど外に出ていかないのが現実です。
以前、ある知り合いから『日独裁判官物語』という映画を教えていただいてみたのですが日本は本当に封建的すぎます。
ドイツの裁判所は本当にオープンでしたよ。
>でも、国家公安委員会みたいなジジババの組織で、陪審員構成になるのがわかっているから今のところは大反対ですよ。
あ、陪審員の選定は固定ではなく、住民台帳を使った「くじびき」で選ばれます。
くじで引かれた人は、どんな用事があっても出なければならない、という原則になります。
ですから、顔がネガみたいになってるオネーサンとか、週末にヴンヴンいいながら改造車を
飛ばしているオニーサンも、部屋の中でひっそりと収集したアゲハチョウの整理に生涯をかけてる人とかが
裁きに加わるわけです。
川崎賛江。
わっははは〜〜〜、そのほうがまだ望みがあるかも知れませんぞ。
でももし、オレが選ばれたら?・・・ん〜〜む、海外旅行の予定の日だったら嫌だしなぁ。
お金になるなら良いかも・・・って、おい、ジジババと同じだて。
昨日、山口県光市の母子殺害事件の判決が下されました。
犯人の少年の「更生の可能性」を考慮し、無期懲役だとか・・・
妻と子供を殺された男性の悲痛な叫びがまだ耳に残っています。
もし、陪審員制だったら「死刑」の可能性が高かったのでは?
私が陪審員だったら間違いなく「死刑」に一票です。
ところで、アメリカの陪審員制では陪審員の人選に納得がいかない場合、
人を入れ替えることが出来るそうですが、そのためには「お金」がある程度
必要だそうです。結果的に「お金持ち」が有利になってしまう現状があるようですが・・・
今回日本で検討されている陪審員制は、このあたりどのように考えられているのでしょうか?
日本での陪審制ですかぁ。昔ならともかく今、日本国民の質は
みるみる落ちています。(ここで言う質とは学力と違って「人間」としての質)
しかもこれからこの国を支えるであろう2〜30代が(4〜50代もだけど)
「一部を除いて」総白○に近い状況なので、この状態で陪審制を導入したら
裁判の大前提である「真実」を見失う可能性が大だと思われます。
しかもズル賢い弁護人は事実に反して、話術と作戦にのみによって陪審員達は
その弁護人に流される事だって安易に考えられます。(もちろんその逆も)
それに今の日本人なら、こう言う事を考えるに違いありません。
「だって他人のことなんだもん!」
通りすがりのものですが、足跡付けに・・・ |
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