[デーブ川崎の居酒屋一覧に戻る] お名前:デーブ川崎
地域:関東 この問題はじっくり話し合ってみたいですね。 ゆえにスレッドを立ててみました。 ****以下引用**** Keiさんからのコメント(1999年12月14日 19時05分13秒) 私は、春菜ちゃん事件が衝撃的。 春菜ちゃんを殺してしまったお母さんのこと 単純になんてひどい!!とは思えないんですよ。 最近は 自分のなかにわきあがるマイナスの感情の処理の仕方が ものすごく下手になってしまっている気がします。 容易に抜けだせない迷路にはいりこんでしまっい その中で解決の糸口を見つける方向に向かうのでなく 不快感のもとになっている対象を抹殺する方向に向かっている。 もしくは、問題をすりかえてしまう。 ”むかつくから殺した” ”むかつくからいじめた” あまりにも短絡過ぎる。 この短絡思考は事件につながっていなくとも 身の回りに日々感じられます。 最近の若者は!!っていう言い方って好きではないのですが 最近の新人は自分で考える、解決の方法を模索するということが できない。というか、それをしなければという意識そのものがない。 飛躍し過ぎ!といわれるかもしれませんが これってやはり学校教育のありかたに問題があるような気がしてなりません。 共通一次試験(いまやセンター試験となってる)に向けて より効率的な勉強方法は一問一答式のパターンを徹底して覚え込むことです。 私の受験の頃はまだ共通一次が始まって間もない頃でしたのでそこまで 徹底した受験対策はできていなかったし、 まして宮崎では塾があまりなく高校の先生方も試行錯誤、学生も試行錯誤の状態でした。 いま思えばそれがよかったのかなと思えます。 かつてよりは平均の成績は向上し、いまではかつて難関といわれた大学も 必死のトレーニングで合格も夢ではなく門戸はより広くなったといえるでしょう。 でも、思考がパターンナイズされているような気がしてなりません。 ひとりひとりが試行錯誤する余裕が果たして教育期間内にあるといえるのでしょうか? 試行錯誤しなくなった結果、頭の中で”これをこうしたらどうなるだろう?”というシミュレーション ができなくなっているのではないだろうかという気がします。 だからこそ、すぐ追い詰められるしその結果取り返しのつかない行動に走ってしまう。 そう思えて仕方ありません。 どうでしょう? ***引用終わり*** |
ものすごく複合的な問題なので、一挙に全部をさらえるのは難しいんですが・・・
どうも今の10代から30代にかけて(数の多少は別として)「問題発見能力」を磨くチャンス
を中学・高校生時代に持たなかったため、何かトラブルがあったとき、それを問題として把握
できず、パニック状態になって、逃げまくる人がいます。
「マニュアルの指導」が問題視されていましたが、実はこの弊害は「問題とつきあう」という
重要な生きるトレーニングを省略してしまったのではないかと思うのです。物事がうまくいか
ない、しかしそれがどういう問題から発生しているのか「問題探索の経験」が少ないので
いつまでもたどりつかない、焦る、短絡的になることもある、そしてそれが癖になる・・・
まぁ、こういう風に定型化してしまってはいけないんでしょうけれども、問題発見能力が
何につけても落ちていると思います。発見できないものは解決できないわけで。
手っ取り早い解決に暴走してしまうのかなあ。
すこし時間がたってしまいましたが、この事件には、ちと心が揺さぶられているので。
>どうも今の10代から30代にかけて(数の多少は別として)「問題発見能力」を磨くチャンス
を中学・高校生時代に持たなかったため、何かトラブルがあったとき、それを問題として把握
できず、パニック状態になって、逃げまくる人がいます。
容疑者を、皆がいうように非難できない、彼女と彼女を取り巻く環境を思うと
彼女をかばってあげたい気持ちを抑えることができません。
わたしも「共通一次世代」「マニュアル世代」と呼ばれる年代の
母親だからかもしれません。
彼女は、地方都市の学校を出て、看護学校を経て看護婦さんになったのでしたっけ・・
そして結婚し、あの地に住み、子供をもうけた。土地柄、「お受験」することが
当たり前だと思った、あるいはお受験しなければ人にあらず、の空気の中で
精神的に切迫した状態だったかと思うんです。
されど、悲しいかな、彼女自身は、生まれついての「熱帯魚」ではなく
私と同じような「金魚」でしかなかった。金魚が熱帯魚と対等に付き合うには
慣れない温水につからなければならない。口に合わないものをたべなければ。
考え方や価値観が根底から違う人達と同じ水槽で過ごさなければ。
その水槽の中で、自分の子供を育てて、暮らしてゆくためには
熱帯魚たちにベビーシッターまがいのことをさせられたり、言葉遣いまでも
否定されたりしても、じっと我慢して行かなければならない。
金魚のきもちも考えてほしかった。
「問題と付き合う能力」も大事でしょう。
されど、それは、ひいては「一生我慢を強いられる」「あきらめ人生」にも
つながりかねません。
その「我慢」の堤防を決壊させたのは誰でしょう。
「てっとり早い解決に暴走」と、いいきれますか?彼女がどれだけ苦しんだか
誰にも分からないでしょう。
それとも、「ここまで我慢したらOK」というマニュアルがありますか?
そのボーダーラインに到達しなかったら「暴走」「短絡的解決」と
いわれるのでしょうか。
他人の気持ちに対して、我々はとても鈍感になっていやしませんか。
もちろん、二才の子供をあやめたことに対しては、弁解の余地はないでしょうが
熱帯魚たちに対して、まったくおとがめがないというのは、納得できないです。
メディアリテラシーの観点からいくと、どうも最近の「容疑者擁護」の状況も、
何か政治的な操作が行われているようであまり信用できません。だから、
まぁ、「どっちも可哀想だったね」としかいいようがない状況です。
>「てっとり早い解決に暴走」と、いいきれますか?彼女がどれだけ苦しんだか
>誰にも分からないでしょう。
でも、てっとり早いことに変わりはないと思います。どんなに可哀想な状況であっても
あの方法がてっとりばやい方法であることには変わりないと思うのです。あの状況で、
もう繰り出すカードがなかったと言ういい方もできますが、ちょっと不謹慎ですね。
彼女の個人的問題には(実は)関心がありません。だって、知り合いではないし、
また事態がひっくりかえるかもしれないかと思うと(だって、最初容疑者が
つかまった時は鬼のように思ったんですから。いい加減なもんです)、
あまり同情的になれません。
で、例のママさん同志の人間関係の問題については、この事とは別に重大なことだと
思っています。歴史的にはちっとも珍しいことではなく、これはどちらかというと
「人間が本来抱えている問題」の分野に入るものだと思います。
僕はまだ答えにたどりついていないのですが、それまでは道徳と倫理観と法律でうまく
解決してゆくしかないのかなあ。
>「問題と付き合う能力」も大事でしょう。
>されど、それは、ひいては「一生我慢を強いられる」「あきらめ人生」にも
>つながりかねません。
>その「我慢」の堤防を決壊させたのは誰でしょう。
えーと、参考のために解説しておきますと、
「問題解決能力」は、あくまで「解決への道を探る」ことが目的ですから、
我慢やあきらめを内包した「問題とつきあう能力」とは違ういます。
問題とは共生してはいけない。病気や障害とは違うのだから。
この問題を論じるにあたっては、かび母さんのような「現場」の立場の意見がすごく
重要です。ぜひひきつづき自由に考えを述べてみてください。
きっと、あのママさんたちに同情できるのは、そういう立場の人しかいないと思うのです。
問題とつきあう能力=選択肢の幅を広げる
ことではないかと思います。
極端な言い方になってはしまいますが
耐えるか、切れるかといったall or nothjngの考え方ではなくその中庸というか
小爆発(ちょっとした摩擦)と小我慢をくりかえすというか・・・・
最近のおつきあいって摩擦をできる限り避けるということに最大のエネルギーが
そそがれている様な気がします。
我慢を蓄積させると、いざ爆発したときにものすごいエネルギーになってしまいます。(経験上)
怒りのエネルギー、不満などマイナスの感情を少しずつ吐き出す能力、それも問題とつきあう能力かな
と思います。
今、最も信頼できる友人とは小摩擦を繰り返してきたような気がします。
大きく傷ついたり、いいしれぬ不快感で満たされることも多々ありました。
結果得られたものは大きいような気がします。
ただ、それにはちょっとした勇気が必要ですし、一朝一夕にできることではないでしょう。
本来なら、子供から大人になる過程の中で培われていくのでしょうが
いまは、かっこいい生き方が価値あるものとされ、あっちにぶつかり
こっちにぶつかりする無器用な生き方は受け入れられなくなっているのではないでしょうか?
子供らはそれを敏感にキャッチしているのではないでしょうか?
もっと、無器用さの持ち味が受け入れられるようになると世の中変わっていくのかな
なんて思ってるのですが。
わたしは、春奈ちゃんのお母さんの選んだ行動がどうかということを
論じるより、そこまで追い込んでしまった社会背景をもっと考えなおさなければ
いけないのではと思ってます。
また、いまのマスコミの報道をみていると、いずれ被害者のお母さんにも
世間の非難の目が向けられるのではないかということも心配されて恐い気がします。
なんだと おい!!
>ぁ、「どっちも可哀想だったね」としかいいようがない状況です。
どっちも だと????ナニ言ってんだよ!!!
可哀想なのは 殺された女の子とその家族、、そして、その人らを好きな人々だろうがよっ!!!!!
冗談もほどほどにせーーーよ!!
人殺しをする主婦が出る世の中に問題があるってか?へっ!!! 反吐が出るわ
>可哀想なのは殺されて女の子とその家族、、そして、その人らを好きな人々。
当然そうだと思います。
あの事件を聞いた誰もが思っていると思いますよ。
”人殺しをする主婦がでる世の中に問題がある”
っていうのは、けして主婦を擁護してるわけではないですよ。
(少なくとも私は)
こういった殺人事件をおかしてしまう人がでてきている
背景に怖さを感じるという意味で。
殺人という罪に関しては本人および周囲が今後抱えていく問題であって
私自身は個々のケースを論じるつもりはないです。
この御時世だと今後
第二、第三の悲劇がうまれるのではないかということが危惧されるという意味で
この事件その他最近の色々な事件の背景が非常に気になる問いう意味で
いわせていただいたわけです。
本人によりコメントは削除されました。 1999年12月20日 13時16分24秒
TAKEGONサンが悪い人じゃないというのはもう知っているわけで、
さらに、怒ると口が悪くなるのはもう了解しているので、
どうかあの口調だけを見て「いや〜ね、この人」なんて言ってる「読んでるだけ」の方が
いらしたら、どうか善き様に理解していただければと思います。
この掲示板には欠かせない火花です。
ええ、もうみなさん了解という感じですが、あの事件の当事者の問題と、その背景の社会的
問題を明確に切り離さないと、よその掲示板でよくあるような感情論になってしまいますから、
それを心してすすめませんか。
殺人事件は殺人事件。これはもう犯人は断罪されなければならないし、制裁は必要です。
で、被害者の奥さんについては、これは地元の人々にまかせたほうがいいと思います。
われわれが口出しすべきことではない。
むしろ、近い事例が身近なところにあったら、ぜひ、この掲示板でお知らせ下さい。
みんなで考えましょう。
TAKEGONさんに一票。
しかし店長にクギ打たれてしまったな。
まあ感情論の応酬では先が見えなくなるのも確か。
この件で私が一番思うのは、殺された春奈ちゃんのお父さんのキモチはどうなんだぁぁぁぁ、
ということ。お母さんは殺人理由に深い関わりがあるのでしょうが、お父さんはカヤの外。
だけど、最愛の娘を殺された。なぜ。どうして。この事件で一番辛いのは、彼だと思う。
自分と他人(お客さん含め)のいざこざなんざ、職場にはゴロゴロしているからねえ。
「殺せば解決」の解答を出した犯人は、やっぱ頭オカシイと思う。
「環境が悪い」なんてのは、責任転嫁の論理ですね。
「郷に入れば郷に従え」の論理ですが、これを打ち破るのは簡単。
自分自身の行動に、自信と責任を持てばいいだけ。他人に合わせるのも
異を唱えるのも自由なんだが、最近これを放棄しちゃう人が多いみたい。
「自分で考えて行動する」から「人」なんですけど。
他人に合わせた行動しか出来ないのなら、確かにそれは「金魚」と同じ。
環境が悪いから犯罪をおかすってのはおかしいですよね。
私は個々が置かれた環境の中で生きていく力がというか人間関係を
作る能力が育たなくなっていることに社会背景がからんできている
と思っているんですけど。
他人に合わせるていうのはむしろ現代の方が上手になってきているかも、
だからこそ、それができない人はやたら浮いてしまう。
そんなとき、それを自分の個性と考えるか能力が劣っていると考えるかで
その人の生き方が変わって行くんだろうなと思います。
標準的な生き方が悪いなんてことは絶対ないけれども
標準的な生き方にもやはり適性があって
適性がない人がそれをめざすとつらいだろうなと思いますね。
自分を知るって難しいけど大切ですよね。
ちなみに、私はかつてめざしていた自分とのギャップに
もどかしい思いをしていたんですが、自分とのギャップを埋められない
自分が悪いのではなくギャップのある人間像をめざしていたことに
問題があったのではないかと思うようになりました。
自分の評価に他人のものさしばっかりつかってちゃいけないなと。
今回の加害者も自分の価値を他人のものさしではかっちゃってたのかな?
>今回の加害者も自分の価値を他人のものさしではかっちゃってたのかな?
keiさんのこの一言が、けっこう胸に刺さりました。いい意味で。
常に何かのものさしで自分をはかり、その尺度でしか自分を認識できない
人種というのは、けっこう多いのではないでしょうか。私も含めて。
みなさん、「自己の主体性」をはっきりもっていらっしゃるようで
羨ましいです。他人の意見、物言いや態度で自分自身を180度変えなければ
「水槽」のなかで生きて行くことがつらい人間にとっては。
今の私は、生まれ育った環境、価値観、立ち居振舞いに至るまで
すべてを、現在回りにいる人間達から否定されるところから現在の生活が
始まりました。ここは日本か、今までの自分は一体なんだったのかと
煩悶しながら過ごす毎日。
幸いにも、家族が私の支えになってくれているので
今回の加害者のような凶行に走ることはありません・・・多分ないでしょう・・が。
育児サークルなるものに身を置いていた頃には、春奈ちゃん事件のタネのような
ことがいっぱいありましたよ。まず、母親の人となり、母親ないし父親の社会的地位で
あそばせる子供をふるいにかけます。
住んでいるのが遠くても、自分の価値観のものさしに叶った「お友達ママ」と
お付き合い。1丁隣りのバツイチママとは、目が合っても口も聞かない。
まだやっとおすわりのできる程度の赤ん坊を真中に座らせ、口は笑っても
目は笑わない母親達。
春奈ちゃんの母親、加害者を含む「おかあさんたち」の関係も
なんとなく見えてきます。なんだか、やるせないです。
たくさんの人間がいれば、たくさんの意見があるでしょう。
子供を殺すという凶行は、もちろん許されるものではありません。
犯罪を肯定するのいうのでもありませんが
せめて、情状酌量が彼女が裁かれるときに加味されてくれればと
願うばかりです。
>「郷に入れば郷に従え」の論理ですが、これを打ち破るのは簡単。
自分自身の行動に、自信と責任を持てばいいだけ。
・・・本当に、簡単ですか?
>>「郷に入れば郷に従え」の論理ですが、これを打ち破るのは簡単。
>自分自身の行動に、自信と責任を持てばいいだけ。
>・・・本当に、簡単ですか?
いやあ、実際は難しいんですよ、やっぱり。
でも、「できないことではない」という事だけ心に留めておくというテはあります。
誰もがジャンヌダルクになる必要はなくて、ジャンヌダルクが表れた時に
それを応援する心の準備を忘れずにしておくという立場はあると思います。
>みなさん、「自己の主体性」をはっきりもっていらっしゃるようで
>羨ましいです。他人の意見、物言いや態度で自分自身を180度変えなければ
>「水槽」のなかで生きて行くことがつらい人間にとっては。
おっと!こんな大事な所を「みなさん」でくくらないで!みんなそれぞれの苦悩の中から
それぞれに結論を導き出しただけですから。多少順番が狂っただけでそんなことを言わないで。
「自己の主体性」だって、本当に存在するモノかどうか・・・「主体」と「客体」の違いが
最近ますますわからなくなっているのです。
主体論でひとつスレッドを立ててみよう!
>>「郷に入れば郷に従え」の論理ですが、これを打ち破るのは簡単。
>・・・本当に、簡単ですか?
実際、私も口ではそう言っても、実践は難しいのは確か。
人間関係のしがらみって重いですから。
でもやっぱ、「簡単だ」と思ってあがき続ける事こそが大事だと思います。
あがいた挙げ句に立場を失う事も多いですが、あがかずに立場を保ったとしても、
そこに居る「自分」が「虚像の自分」じゃ意味無いです。「実像の自分」でなければ。
「実像の自分」とは何かと問われると、少々答えに窮するのですが、メッチャ抽象的に
表現すると、「自分の中に自己否定が存在しない状態」とでも、いいましょうか?
ところで、
>せめて、情状酌量が彼女が裁かれるときに加味されてくれればと
これはダメです。絶対、許してはなりません。
ただ私も彼女の立場になって考えた事もあります。追いつめられた彼女の立場を
考えた時、犯行に及んだのも仕方なかったか・・・ と思った瞬間、すぐその考えを
否定しました。「仕方ない・・・」と考えが及んだ事を、恥と思いました。
情状酌量というのは、容疑者が犯行に及んだ理由が被害者にある場合だけでは
無いでしょうか。何の罪も無い人が、いわれ無き理由で無残に殺されたのです。
その現実は、絶対、無視してはいけない。
前にも言ったかもしれない。いや、言った気がするから繰り返すのは苦痛だなぁ。
死刑に反対する人の意見の中に、死刑という刑罰では殺人を防ぐことは出来ない
という話を聞いたことがあります。なぜなら殺人を犯そうとした人の直前の心理
状態は、法やモラルのことなどすっかり忘れているのだそうです。
殺してやりたいと思われたが最後、これを止めるのは反撃できる余裕や技術が
あるか、よほど弁が立たないと難しいですね。
こりゃまたお久しぶりです。
>否定しました。「仕方ない・・・」と考えが及んだ事を、恥と思いました。
そうですか。プログラムを組む方になら分かると思いますが、「プログラムは
思った通りには動かないが、書いた通りには動く」というのは蓋し名言ですね。
人間は必ずしもルーチンワークをするわけではありませんが、もしいじめが
殺人の原因ならば、最初からかような結末も予想されたでしょうに。危機管理と
しては最悪の結末でしょう。
クラクション殺人とか、いじめの報復殺人とかから人間は何も学びませんね。
人間は圧迫を加えられれば、何らかの形で圧迫を昇華(解消?)しようとします。
黙って耐えるとは限らないことをいい加減に憶えてもいいのではないのですか。
こちらこそお久しぶりです、yahooさん (^^)
しかし私が持ってる「常識」では、イジメが原因を解消するためにとる行動は、
1.原因解消を目指して、自分が頑張る。
2.原因解消を目指して、相手との和解に努める。(第3者に応援を求める)
3.イジメの原因を叩き潰すか、息の根止める。
4.イジメられる自分の息の根止める。
あたりが普通で、他にイレギュラなのがあっても大体、これらの理由から派生した
ものと推測できたりします。その他に、
5.嵐が去るのを黙って待つ
というのもアリですが、これは爆弾を膨らますだけであってかなり危険です。
5番が適用できるのは、根源と縁を切る時期が確実に見えている時で、
且つ、自分がその時まで黙り通す自信がある場合だけですね。
それでは春奈さん (敢えて「さん付け」します。子供は親の所有物では無いからね)
殺しは上のどれに当たるのでしょう?
3番が一番近いでしょうが、それだと「存在こそが原因だった」と、なりはしないか?
実際、春奈さんは犯人に対して直接危害を与えておらず、ましてやイジメに荷担する
ことも無かったはず。春奈さんは犯人に対して「友達のお母さん」という認識程度で、
且つ、親しみを持って接していたのでは。その関係がどうして「殺してやりたい」という
理由に繋がるのでしょうか?
・・・・・
ところでこれって、ある人間関係の諍いに、全然関係ない人(春奈さん)が巻き込まれた
やりきれない事件の1つかな?とも思います。
ひょっとすると、池袋であった通り魔殺人事件と似たようなものかもしれません。
あれも犯人側の論理では、それなりの理由があって殺していますから。
別に人の意見なんか気にしちゃいないけど、真理を追求することは重要ですよ。
人の程度を批判するのは自由だけど、今それをやるのは自分の足を銃で打つのと
同じです。
だれかさんたちと和解されましたか?
とことん議論すればよかったのに、話を途中で降りたでしょ。
後からでも山田被告にきちんとフォローすれば怨まれることもなかった
のにね。でなきゃ損ですよ。
すぐ和解しなかったから4つもスレッドが立ったのではありませんか?
無論、内容としては私にも問題があるのは認めます。
ちょっと変だ。
あのお母さんも山田被告にきちんとフォロー
が正解。
和解の必要性が無いから、何もしないだけです。
和解したところで、得られるのが自己満足だけならやるだけムダ。
日常生活に影響がある訳では無いしね。彼等同士はモロに影響しそうですけど。
「よそ者」というのは、私自身が無責任で、楽な立場にあるという自己主張でもありますし。
追加。
> 後からでも山田被告にきちんとフォローすれば怨まれることもなかった
相手が最も望む形でフォローが入らなければ、逆効果なのは当たり前。
ちょうど、私と貴方のやり取りのように。
世の中には残念ながら、そういう人間関係が存在します。「相性」って奴ですね。
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