[デーブ川崎の居酒屋一覧に戻る] お名前:デーブ川崎
地域:その他 ほんとに今年は激動の1年でした。って言ってる今日だって明日だって どこかで誰かが玉突き衝突していたり、どこかで壁が崩れ落ちていたり、 どこかで誰かが電車に飛び込んでいるような状況。年越しのY2Kまで ほんとに尻尾までアンコの入った年になりそうです。 そこで、今日からぶっとおしで「今年どんな問題が起きたか」を全員で 総ざらえしたいと思います。暗い話題で盛り上がろうではないですか。 ただし、一応ルールを設けましょう。 ●1発言に問題は1つ。(後で整理しやすい) ●単なる挨拶レスはナシ ●解決策はそれぞれ問題ごとにスレッドを建てようではないですか。 身近な問題から世界的問題まで、今年の問題を総ざらえして、いかに今年が 壮絶な年だったか、総覧してみようではないですか。 ふりかかってくる災いは、あたかも恋人を抱き入れるように受ける。 人間のノーブレスだ。 (岡本太郎「原色の呪文」結語より) さあ、恋人がいっぱいいます。 |
本人によりコメントは削除されました。 1999年12月13日 11時15分41秒
今年の問題としてまず取り上げたいのが「列車飛び込み自殺者」の多さです。
そりゃ不景気だろうよ、そりゃ絶望感だろうよ、そりゃあんたは弱い人間だろうよ。
だから巻き込むなよ、と、言いたいが、列車に飛び込む瞬間、人間は既に正気では
なくなっているわけで、そういう人に何を言っても通じないのかなあ、と思ってしまいます。
たかがお金で人が狂うのか?いや、単純にそういう問題ではないでしょう。
お金で頭を下げることのつらさであり、そうして人間性を削ぎ落とされるつらさであり、
そこに解決方法を見いだす手段を身につけていなかった不幸であり、
一個の裸の人間になれなかった弱さであったろうと思うのです。
いや、実際われわれは弱いよ。肩書きや服装なしには到底うまくこの世を
渡り歩いてはゆけないじゃないか。肩書きや服装があっても難しいのだけど
必死にそのへんを守ろうとしてしまうではないか。
とすると、われわれは全員、飛び込み予備軍か?
飛び込み予備軍かもしれません。ただ、単に順番が遠いだけかもしれない。
飛び込む人間のせいにするのは一番簡単なことだけど、それが何かの解決になると
したら大間違い!
一人の飛び込みに、全世界の問題が集約されていると思うのです。
***
たとえば、こういうまとまりのない発言でもかまいません。
お行儀の良いまとまりのある発言よりは、ちょっと周りが迷惑するくらいの
熱い発言のほうがよろしい。
最近発言を手控えていた熱すぎる人々よ、少なくとも私は成長した。
あなたがたを再びどこかにはじき飛ばすような真似はしないでありましょう。
災難を持ち込んでくれる恋人、大歓迎!
私は、春菜ちゃん事件が衝撃的。
春菜ちゃんを殺してしまったお母さんのこと
単純になんてひどい!!とは思えないんですよ。
最近は
自分のなかにわきあがるマイナスの感情の処理の仕方が
ものすごく下手になってしまっている気がします。
容易に抜けだせない迷路にはいりこんでしまっい
その中で解決の糸口を見つける方向に向かうのでなく
不快感のもとになっている対象を抹殺する方向に向かっている。
もしくは、問題をすりかえてしまう。
”むかつくから殺した”
”むかつくからいじめた”
あまりにも短絡過ぎる。
この短絡思考は事件につながっていなくとも
身の回りに日々感じられます。
最近の若者は!!っていう言い方って好きではないのですが
最近の新人は自分で考える、解決の方法を模索するということが
できない。というか、それをしなければという意識そのものがない。
飛躍し過ぎ!といわれるかもしれませんが
これってやはり学校教育のありかたに問題があるような気がしてなりません。
共通一次試験(いまやセンター試験となってる)に向けて
より効率的な勉強方法は一問一答式のパターンを徹底して覚え込むことです。
私の受験の頃はまだ共通一次が始まって間もない頃でしたのでそこまで
徹底した受験対策はできていなかったし、
まして宮崎では塾があまりなく高校の先生方も試行錯誤、学生も試行錯誤の状態でした。
いま思えばそれがよかったのかなと思えます。
かつてよりは平均の成績は向上し、いまではかつて難関といわれた大学も
必死のトレーニングで合格も夢ではなく門戸はより広くなったといえるでしょう。
でも、思考がパターンナイズされているような気がしてなりません。
ひとりひとりが試行錯誤する余裕が果たして教育期間内にあるといえるのでしょうか?
試行錯誤しなくなった結果、頭の中で”これをこうしたらどうなるだろう?”というシミュレーション
ができなくなっているのではないだろうかという気がします。
だからこそ、すぐ追い詰められるしその結果取り返しのつかない行動に走ってしまう。
そう思えて仕方ありません。
どうでしょう?
ミッチーとサッチーの問題って、結局、何だったんでしょう。
誰が儲かったのか、誰が損したのか、誰のための代理戦争だったのか・・・。
でも、国民の大多数ではないにしても「メディアの言う事は話半分で聞いておけ」という
メディアリテラシーの考え方が少し普及したきっかけになったとは思いませんか?
あれ以来、朝のワイドショーを見る時、番組冒頭の1分間で取り上げている問題が昨日のものと
同じだったら、その日は面白くない(つまり他にロクなネタがない)日だ、と判断して
ラジオに切り替えるような癖がつきました。
バレちゃってるぞ、ネタの浅さが>TV局
くりがしらです。
11月にある経営者団体の県レベルの大会で、数人の強行突破で日の丸を掲げちゃいました。(笑)
なぜかと言うと、「この会は共産党のお抱え組織だ」という噂が立ち上ったからです。
反発の意味で掲揚したのではなく、対外的に 「それは違うよ」という意味で掲げました。
当然、それらの方々も大勢いらっしゃるわけですから猛反発を食らいました。
個人的にはなんら問題なく仲良くやっている人たちでしたが、この事に関しては一歩も譲りません。
国旗掲揚について
・デリケートな問題だから辞めるべきだ
・全国組織の経営団体だから、絶対に掲げるべきだ
・どっちでも良いのなら、問題にすべきではない
この3つの意見が現在も飛び交っています。
今後も続く問題だと思うので、是非賛成・反対両方のご意見を拝聴してみたいと
思います。
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