[デーブ川崎の居酒屋一覧に戻る] お名前:ちまちま
地域:四国 「何かひと言相手のカンに触るようなことを言ってしまいたいけれどそれは笑って許してもらえるよね症候群」 なっ長い! しかし、これを読んで何を言っているかすぐぴんとくる、という方もおられるのではないでしょうか。 そう、現代若者気質です。 ずっと、読みたかった「クロスファイア」(宮部みゆき著)を読んでいたら、 出くわしました。 思わず、伝言板に書き込まずにいられませんでしたよ。 本当に、そうですよね。 「ちょっと黙ってたらいいのに。」 はらはらしてみているそばで、本人は結構けろっとして「大丈夫!」みたいな顔をしているんですよ。 でも、これ、 結構年輩の方にもいらっしゃるのでは、、、 かくいう私も時々、気分がハイになっているときやっちゃうんですよね。 で、後から「しまった」と思うんですが、、、 伝言板みたいに、後からリセット・削除はきかないんですから、 いい年してもうやめたらいいと思うんですが、 やってしまうんですよねえ。 「、、、、でも、ゆるしてもらえるよね?」 |
なるせです
沈黙は金なり
年を取ると、段々寡黙になります。
「チ」です。
ン〜〜ム、どう言ったらいいのかなぁ。
自分の言い放った言葉に責任を感じるかどうかでしょうね。
あるいは、言った内容に対して自分がどこまで正当性を裏付け出来るかって自信があるかも問われますよ。
「言っちゃったんだもん、言論の自由じゃん」では済まないこともあるんですね。
自由にしたいなら、果たさなければならない義務があることを忘れてるんだろうけど、若い人はともかくご年輩に結構知っていながら力で押し通す人達が存在するのは事実です。
っていつの間にか堅い話をしてしまうようになった「チ」でございます、テンチョー濃いチューハイ、レモン味で下さいな。
ちまちまさん、ういーっす。
で、本題ですが、人間というのは、言ったことは忘れても
言われたことは一生忘れない生き物であります。
言ったことは忘れ・・たくても、書き込んだことは残るので
ここを含めてインターネットに残る(ちょっと言い方おかしいね)
ので、最近フンドシならぬ、おパンツのゴムを入れなおしている
ところです。
言葉って、使い方によっては、毒にも薬にもなりますよね。
今の私は、回りのひとの言葉ひとつひとつが、毒なのか薬なのかの
見極め練習中。なるせさんのおっしゃることもよくわかります。
言ったもん勝ち、というのは、暴力的で好きにはなれません。
許してもらえる・・・のも、若いうち、しかも期間限定だと思います。
だから、口が重くなる、笑って交わすようになるんだよね。
これを「大人のずるさ」ともいうと思うのですが・・・。
「ち」っす。
うんうん「かび母」さん、おっしゃるとおりかもね。
確かに言ったが勝ちはいけませんやね、若かろうが年輩だろうが使う言葉は共通なんだから。
聞いた方は(ネットの上の話ですよ)こだわりますからね。
だからといって当たり障りのないお話ばっかりってのも、寂しい気もしますがねー。
「喧喧顎顎」のち晴れって無理だけど、少なくとも意見交換の場でのやりとりはあって当たり前なんで、お利口さんでkつ良い子でいたいんなら、最初からクビ突っ込まない感性も必要かと思います。
私は元来好奇心旺盛で、野次馬根性が抜けない男なんで、ネット上だけでなくいたるところで勇み足して汗をかいてます。
自分の発言に対して自分でケジメられるなら、いろいろ、それぞれって考え方でいいんじゃないですか?
6歳の長女に最近口うるさく言うことは、
「一度口に出したことは取り返しがつかないんだよ。」
「デブとか馬鹿とか言ってもいいのは、お父さんとお母さんに、だけだよ!」
ということ。(もちろん、そういったらすぐ怒られるんですけどね。)
今言っても無理なのかもしれないけれど
子供の語彙って、爆発的に増えるじゃないですか。
特に嫌なことば、意地悪なことばが。
そういうのも文化だと思います。
嫌なことば、悪いことば、人を傷つけることばも、知らずにすますことはできない。
だから、そういうことばに鍵をかけることを教えるべきだ。
それができるのは、親だけでしょう。
長い時間かかるでしょうけど。(自分だって、へまをやるしね)
人を傷つけて平気でいられる子には、なってほしくないから。
それはそれとして、
10代の子供たちと毎日接していて思うのは、「傷つけ上手で傷つけられ下手」ということです。
他人には結構きついことを言ったりしたりしているのに、
自分のことは、甘やかしてほしい、許してほしいんですよね。
あんまりあからさまにそうなので、どうしたらいいのかわからなくなることもあります。
怒るべきなのか、笑って許すべきなのか。
どうなのでしょう。
ただ、そんな風に他人に対して攻撃的になっているときほど、彼らの弱さがむき出しになっています。
そこを攻めるのはどうかな、とも思う。
でも、そんな風に弱さをむき出しにしてみせるということそのものが
「甘え」なのかもしれないし、、、
男の先生の数が多い学校では、女の先生は「お母さん」的な役割を求められることが多いし
きついことをすれば男の先生よりも恨まれることになります。
子供が中学生ぐらいになると、どの家庭も土台がぐらつき始めるようで
そのためいっそう過激に甘えてくる子もいます。
そういう子供たちを相手にしていると、自分が本当に人間として未熟だなあと思います。
かびたろうの母さん、なるせさんが言うように、
年をとってだんだん口が重くなって、「言ってはいけない」ところでセーブできるようでなければ こんな危ない子供たちの相手はできない。
でも、自分自身まだ、「許してもらいたい」方なんですよ。
もっと、大人になりたいなあ。
「ち」さんへ。
>だからといって当たり障りのないお話ばっかりってのも、寂しい気がしますけどね〜〜
同感です。
自分の親の代までは、結構過激な話でみんな盛り上がってました。
けんかもたくさんあったみたいです。
そういうのを間近で見て育ったので、
今自分が、本当に本音で語り合える関係を持っていないことが寂しい気がします。
職場では、ちょっとずつ地を出していますが、(9年かかって)
実力が伴わない限り、どんなに過激に語っても相手にはされません。
今は、にっこり笑って牙を研ぎつつ、、、
まぁ、言う方も気を付けなければならないのですが、
言われた方も適当に流すだけの度量を身につけたいものです。
くやしがったり腹をたてているのはほかならない「自分」なんですから
自分が怒るのをやめれば、世界から怒りはひとつ消えるという寸法です。
それも大人だと思うのです。
もちろん、そういうことをさせないように言葉にやさしい『気』を込める
ことは大事です。言葉尻の優しさよりも、普段からどう接しているかという
ことのほうがもっと大事だと思います。普段の接し方がよければ、言葉が
少々乱れても大丈夫なのです。
>言葉にやさしい『気』を込める
>ことは大事です。言葉尻の優しさよりも、普段からどう接しているかという
>ことのほうがもっと大事だと思います。普段の接し方がよければ、言葉が
>少々乱れても大丈夫なのです。
うんうんとすっかり納得してしまいました。
>自分が怒るのをやめれば、世界から怒りは一つ消えるという寸法です。
お互いが気持ちよく暮らせるのが一番ですよね。
そのために、ことばを上手に使わなくちゃ。
「やさしい『気』 をこめる」
、、、心がけたいと思います。
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