[デーブ川崎の居酒屋一覧に戻る] お名前:「チ」
地域:北陸 「チ」です。 「東ティモール」「コソボ」をふまえての(ああ、また地雷も踏んだ気がする)いきなりの切り込みでいきますので、ご示唆下さい。 北朝鮮に対する各国の事態対応にはどう考えたらいいんでしょうか、太陽政策にしろ、冷たい政治的援助にしろ、援助の使い道が先方まかせでしょ。 改善のためとと思った金銭や物資援助が軍事部優先にされたらミサイル他の軍事関連に変わるし、国家官僚自由にに使われればそれでおしまいですし、使い道の確認は取れるはずもないし、相手の良心に任せるしかないんですよね。 一筆取っても同じ事、相手の出方次第なんですかね。 誰のために援助をされているのかわからないんでしょうか。 国家体制ってここまでグローバルされてくると、一思想では維持できない状況なのに、わからない国家もあるんですね。 悲しいかな、「性善説」をかたくななままに信じてきた者の一人として残念です。 国際政治的な駆け引きですか?今の日本だとまさに人任せの中で、アメリカまかせならそれはそれで貫けばいいんですが、そんな力量持った政治家もいない現状だとどうするんだろうと思いますよ。 したたかな国際関係にもともと弱い私達の国が、原爆三つあれば消せると言われているこの国がヘラヘラしているときなのかなぁと思いますけど私は無力感で「なるようになる」です、間違ってたらご指導下さい。 新潟は北朝鮮の窓口港なんですよ。まして日本で一番大きい原発抱えてるんですね、何かあれば最高のターゲットです。 皆さんよりもピリピリしてますことご理解下さい。 今度は楽しい話にしますね。 |
コソボも、東ティモールも、そして北朝鮮も、いちばんの
被害者は、子供です。というより、弱者ですね。
先の2ヶ国は、正直言って勉強不足で、あまり状況が把握できて
いないのですが、北朝鮮の映像は、隣国ということもあり
関心があります。でも、物資にしろ経済的援助にしろ
誰にそれが渡っているのかは、はなはだ疑問でした。
幼い子供達が、おなかをすかせて、それでも、マスゲームやら
思想教育を植え付けられ、映画好きの2代目の名を呼びながら
国旗をふる姿は、涙がでます。大人が、自ら選んだ思想でする
それとは、まったく意味合いが違う、「洗脳」と思うから。
白い御飯、いちばん最近いつ口にしたの?清潔な肌着は?
どんな本を読んだの?子供達ひとりひとりに聴いて回りたいです。
私達、末端の異国人が、何ができるのでしょう。
見てみぬふりしかできないのでしょうか。政治家レベル、国家レベルで
しか、何かができないでしょうか。
新潟のみなさんは、私なんかよりも、ずっとずっと関心があるので
しょうね。
>見てみぬふりしかできないのでしょうか。政治家レベル、国家レベルで
>しか、何かができないでしょうか。
個人の活動においては「見て、感じた通り」の行動が望ましいと思います。
国家の行動は「見て、判断した通り」の行動しかとれないのです。
もしも、北朝鮮の子供の救済を考えるなら、手はまだあると思います。
ただ、そこには世界のさまざまな団体の「駆け引き」を利用するしかないのです。
でも、そうしてまでも救いたいという「気持ち」には正直であっていただきたい、
というのが僕の思うところです。
「ち」さん、性善説でいいんですよ、というか、その反対に性悪説はないのです。
あれは「善悪」を対立項として考えていた時代の遺物で、現在はもう存在していません。
「善」というのは、生きようとする存在そのものを指す言葉で、
「悪」というのは、善を行う主体同士が互いに不利な衝突を起こした「現象」に対する
言葉ですから、悪は、一過性でしかないのです。基本的に、ひとが2人いなければ善。
2人以上いれば、意見や感覚のあわないところは「悪」を生みやすいかもしれません。
でも、そこは智恵で回避できるんですけどね。智恵はお腹がすくんです。
いやですね、貧しさで智恵まで失っているような国は。同様の経済レベルでも、同様の
問題を抱えていても、気高く智恵を活かしている国はあります。
援助は、本来、そういう「見上げた活動」とその「意気」に捧げるご祝儀として
差し上げるべきもので、可哀想だからあげる、というのは実におごり高ぶった
いやったらしい行為だと思います。
鉄砲で脅すような心の大貧国には、金輪際、祝儀なんて切れねぇ。
そうそう、重要な回答を忘れていた。
>私は無力感で「なるようになる」です、間違ってたらご指導下さい。
間違ってません。少なくとも親鸞は同様の意見を言っていました。
良寛も、表現こそ違え、同様の意見です。
でも、強がるとか、がんばるばかりが防衛ではないのです。
相手のペースにはまったら、その時点で負けですし。
>コソボも、東ティモールも、そして北朝鮮も、いちばんの
被害者は、子供です。というより、弱者ですね。
政治家や金持ちに救援物資を全部分けているようにしか見えないですね。
ある部分私たちの国と似ている所があります。
みんなが幸せで暮らせる環境がほしいですね。
前にも書いたことがあると思いますが、原爆三つでこの国が亡んでも、それは意義の
ある滅び方があると思います。
国を護るということの基本は、その国の人々が、自分自身、自分の大切な人を本気で
護る気持ちがあるかどうかということであって、強力な軍隊があるかどうかとか、強
力な殺戮破壊兵器があるかどうかということではないと思います。
自分自身の生き方がない人にとっては、どんな形であれ生きていることが至上の幸福
であるのかもしれませんが、生き方を護る為になら命を投げ出せるという覚悟が一番
重要なのだと思います。
そういう意味では、あきらめることは既に自分自身を放棄することです。感じたこと
に素直に反応することが必要だと思います。
さて、北朝鮮の援助ということですが、方法はいろいろあるのではないかと思います。
別にテポドンを解体しろとか、核開発の査察をさせろという要求ではなく、日本の援
助がこれから国民一人一人にどのような形で届きますということを、テレビ、ラジオ
等を使って、全国に流すということだけを条件とすればどうでしょうか。
要は、人間一人一人が自分で考えるようになれるということが重要なのではないでし
ょうか。そのためには、まず情報を公開するという行為を始めることでしょう。
初めから全てを望んでも出来るはずはありません。相手を変えたければ、自分自身が
まず変わらなければならないでしょう。
出来ることから、地道に取り組むことが、問題が困難であればあるほど重要ではない
でしょうか。
「チ」です。
「ふりいと」さんこんちわ〜〜。
頭の中では同じ考えに近いです私も、でも実際問題、資金にしろ物資にしろ最終的に私達が意図した対象者達に渡るとはどう考えても不可能と思うんですがねぇ。
したたかな国ですよ、もっとも日本があっさりしすぎってのもありますが。
「オレの言う事を良く聞け、お前達に貸す耳はないが」ってな体制の気がするんですよ。
何がどうしてそんなにまでかたくなな国になったか、現在の鎖国国家の典型ですね。
それと新潟はテポドンの目標になってます(軍事関係でもない私達でも常識です)、ミサイル一つ原発に落とせば北関東は滅びますから。
だからホントは話して済むことなら、そう出来ないのかなぁってのがホンネです。
NGO(民間支援組織)に所属している私ですが、送ったコメが国家体制維持の部分に使われるのならいやです。
新潟とっては九州や北海道より近い国なのに、思想の違いがとてつもない距離をつくること、言葉にできません。
なるせです
今日テレビで国際陸上で北朝鮮の金メダルを撮った選手に金主席から
高級マンションとベンツが送られ、国民がマスゲームを踊って歓迎した
ニュースをしていました。
資金援助はこういうところにも使われているのでしょうね。
>さて、北朝鮮の援助ということですが、方法はいろいろあるのではないかと思います。
>別にテポドンを解体しろとか、核開発の査察をさせろという要求ではなく、日本の援
>助がこれから国民一人一人にどのような形で届きますということを、テレビ、ラジオ
>等を使って、全国に流すということだけを条件とすればどうでしょうか。
でも、敵国のメディアを通じて嘘を流布するのって、一番安上がりな情報戦略ですからねぇ。
この国に関して言えばあまり有効とは思えないのです。
自国のメディアを使ってあれだけ対外的に大嘘こいてきた「実績」がある以上、
やっぱり、前身まっぱだかになって潔白をみせて欲しいと思うのです。
>前にも書いたことがあると思いますが、原爆三つでこの国が亡んでも、それは意義の
>ある滅び方があると思います。
いやぁ、その意義が世界に理解されてない以上、記憶から忘れ去られるでしょうし、
記憶されていたとしても、後世、どこかの国で政治教育のネタにして好き勝手に解釈されて
使われるだけだと思います。これは最大の不名誉だと思います。
名誉は、生きているから守れるんだと思うのです。
ただ、その心意気は高く買いますよ!
そういう人の言葉がなければ、それはそれでこの国の危機だと思います。
本人によりコメントは削除されました。 1999年09月18日 23時53分45秒
店長川崎さん、すみません、言葉がたりませんでした。
情報を流すのは、日本のメディアではなく北朝鮮国内の北朝鮮のメディア自身が、
自国内に向かって流させるということであって、日本のメディアがどうこうする
という意味ではありません。
また、意義は自分自身が認識するものであって、世界が認めるかどうかというこ
ととはまた別の問題であると思います。もちろん、一番良いのは世界が認めてく
れることではありますが。
生き延びるという方法を否定はしませんが、生き延びることでしなければならな
い妥協がどれほどのものかということは、考えなければならないと思うのですが。
「名誉」が欲しくて死を選ぶ訳ではありません。
>生き延びるという方法を否定はしませんが、生き延びることでしなければならな
>い妥協がどれほどのものかということは、考えなければならないと思うのですが。
いやあ、生き延びることをやめることこそ「美しき妥協」にほかならないのです。
とりあえず、この話に関する論争は避けましょう。
「意義」論についてはまたの機会ということで。
>情報を流すのは、日本のメディアではなく北朝鮮国内の北朝鮮のメディア自身が、
>自国内に向かって流させるということであって、日本のメディアがどうこうする
>という意味ではありません。
なるほど。ただ、こうなるともうひとつ危険なのが「偉大なる●●●(打つのも嫌悪)の力によって」
という言葉を使われかねないということ(使われたらおしまいです。結局物資は中央に舞い戻ってこざ
るを得ない)、たとえ直接的にそういう言葉を用いなくとも、間接的にそれをすることができる「方言」を
彼らは持っている、ということです。
国連からの派遣員が、直接マイクロフォンの前に立ち、喋る、ということ、
そして、
その時間、絶対に、誰も「スイッチを切らせない」よう全国で国連が監視すること、
(そう圧力によってスイッチを切らせて置いて「愛国心のあまり国民の大半がスイッチを切った」
なんてことを言わせないように)
この「最もあり得ない方法」以外ないと思います。
そして、一番恐いのが、この放送を行った後の社会的動揺をどう制御するか。
こうなると、結局「軍を派遣する」しかなくなってしまうと思うのです。ため息。
司馬遼太郎さんが「風塵抄二」の中でファシズムの台頭をこんな風に表現していました。
「彼らは、人間ならたれもがもっている郷土主義(ナショナリズム)というガスを国家という鉄の筒に詰め込み、いやが上にも揮発性を高めた」
そして、日本の場合、陸軍軍人が主導し、ナショナリズムを鼓舞したその結果を
「世界じゅうで、日本国の国力を知らないのは、日本人だけという時代になった。国内のほとんどは、猫が虎になった夢を見ているように密林を駆け始めた。 ........現実の日本は、アメリカに絹織物や雑貨を売ってほぞぼそと暮らしをたてている国で、機械については他国に売るほどの製品はなかった。.........」
と書いています。虎の幻想が十五年に及ぶ戦争をやった。そして、その結果、
「政治も言論も、つねに正気でなければならないという平凡なことを、−−−国民を酔わせると大崩壊まで醒めないということをーーー日本も世界も、高い授業料を払って知ったのである。」
今現在、希薄になったとはいえ、日本人の中に戦争を嫌い、国家や国旗を何となく忌避する気持ちがあるのは、私たちの先祖が高い授業料を支払って知ったことのおかげなのです。
「国家の作り上げる幻想」の怖さは、それを失うまでその存在に気づかないことにあるのではないでしょうか。
同じことが隣の国でも進行しているのでしょう。
私たちの国でもかつてそうであったように、「幻想」は国民の大半を酔わせているのでしょう。
その夢を破るために、結局「軍を派遣する」しかなくなってしまうのでしょうか。
何か方法はないのでしょうか。
そう思うとき、かつて自分たちの国でも多くの「良識ある人たち」の声が弾圧されてきた歴史を思い暗澹たる気持ちになります。
Everybody wants to be a cat.
と言う名曲のようにはならないもんでしょうかね、、、
何でみんなそんなに虎になりたがるのか、、、
ヒトの眼が顔の前面に寄り、立体視ができるようになった結果、距離や空間という意識が生まれ、
さらにはその延長として、眼のとどかない"there"(彼方)の概念を持つに到った、といわれています。
そしてヒトは"there"には"here"(此方)にない愉楽と解放がある、と思うようになりました。
その時から「極楽」「ユートピア」「あの世」・・・と、表現はさまざまですが、
「うらやましくなるようなスバラシキ世界」のディティールをあの世というカンバスに
どんどん描きこむようになりました。
そして、具体的になった「あの世」は(誰もそれを見たことがないにもかかわらず)この世のモデル
として機能するようになりました。「あの世」というモデルを実現させようという政治が世界中でおこなわれ
(たとえば東大寺が建立された時、日本中に「国分寺」というネットワークで接続された寺院が
建立され、それぞれに運営モデルや統治に必要なアプリケーション、すなわち経典や仏像が配置された
ことなども含まれます)さらにthereの重要性が高まってきました。
もはや人間はあの世なしに生きてゆけなくなってしまったのです。
しかし、あの世は次第に「現実における問題解決のカンバス」として扱われるようになりました。
つまり、現実に起こっている問題が解決されているような場所、としての「あの世」です。
搾取がなく協同運営で成り立つ共同体、理想的な指導者による独裁社会、宗教的な原理主義に基づいた社会
・・・さまざまなモデルが提示され、最初は小説などの中に、産業革命以降は現実の運動として
その実現が試みられました。最も先鋭的な社会主義思想である「ファシズム」もその一つであったわけです。
有史来、いろんなモデルが試され、どういう方法こそが最もうまくゆくのか、いろんな実験が
おこなわれてきましたが、結局最新の方法であった社会主義も煮詰まり、現在、
この世はあらゆる「there」のモデルを使い果たした状態になっています。つまり人類的にネタ切れ。
つまり冷戦は、大きく分けて2つの異なったモデルを仰ぐ者同士の勢力争いだったわけですが、
優れているとされていた自由競争型社会の不安定さが目立ちはじめ、
共産主義型社会のモデルが崩壊してしまったのをきっかけに
地域ごとの問題に適応したさまざまなモデルが導入され、
(たとえば民族をひとつに絞るとうまくゆくんじゃないか、とか、
太古から続く伝説を使うといいんじゃないか、など)
モデルの違う者同士(国内であったり隣国同士であったり)が勢力を拡げあっているというのが
現状です。
日本に現在有効なモデルが存在していないのは、この国内の混乱ぶりをみればおわかりだと
思いますが、アメリカ同様。ヨーロッパは多少自分たちがモデルを持っているという自負が
あるようですが、実際にはほつれが見え始めています(ヨーロッパにおけるイスラム教徒の増加
は予定外だったと思います)ね。アフリカは部族ごとのthereの違いを未だにひきずっているし、
日本を含めたアジアだって同様。
だいたい、国連自体がワールドモデルを提示できないんだもの。行き当たりばったりの対応しかできない。
***
ちまちまサンが提示した司馬さんの「虎の幻想」の話は重要です。
これはまさに「統治者の幻想」であるわけで、あとの人々はそれに振り回されるしかない。
振り回す側のほうが、圧倒的に強いワールドモデルを所有しているので言葉も大変に
説得力をもったものにならざるを得ない。
国民が酔わされてしまうことの危険は僕も感じます。
しかし、酔わせる側のほうが圧倒的に上手だったりするので悔しい限りです。
われわれに出来ることは、まずはできるだけ意見を分散させてひとつにまとまらないことです。
意見の違う相手の存在こそが、自分の身を守るのです。歓迎する必要はないんです。
叩きつぶそうなんて思わないことが大事。
そして、あんまり「危機感を感じないよう努力すること」だと思います。
彼らはいつも、そこからつけこんできたのです。
危機は昔から隣り合わせにあるわけだし、たまたまどの危機に光があたっているか
という程度のことでしかないのです。騒げば騒ぐほど、誰かがうれしがると思います。
ま、キタのことはあまり真剣に考えないようにしています。
いろんなフィルムが流れたりしていますが、どうも踊らされているようで。
可哀想だ、と、思ったとたんに相手の手中に収まってしまうような感じ?
もちろん重要な案件ではありますが、単一の問題として世界から切り離して考えると
どうもよくないことがおきそう。
むしろ、われわれ「直接動いてもあんまり影響を与えられない国民」は、われわれが
住みたいと思うような「ワールドモデル」の開発にいそしんだほうがいいと思うのです。
ワールドモデルを持った側が、主導権を握れるわけですから。
キムジョンイルだって、安住できるワールドモデルが欲しいに決まってるんです。
そこからは、誰も、逃げられない。
野放しにしてはいけないが、追いつめてもいけない。世界のためにならないと思います。
今、世界がワールドモデルを使い果たしている以上、決定的な方策はないと思うのです。
まさに、世紀末ですよね。
>今、世界がワールドモデルを使い果たしている以上、決定的な方策はないと思うのです。
誰もが正直にそれを認めてしまうべきなのかもしれません。
ただ、私は自分が弱い人間だと思うので、
「答えがない」
と言われたとき、そこからどうするかを考えると恐ろしいような気がします。
みんなで考えよう、と話し合いの場にでていけるかどうか、、、
他人の意見に盲従したり、突っかかったりせずに、何かを生み出す話し合いができるかどうか 自分の意見と違う考えを持つ人を排除しようとしてしまわないかどうか、、、
ここでいろんな意見を聞いたり、時々自分でも考えを書き込むのは
ささやかな訓練のつもりです。
いつの間にかこんな自分でも
後の世代に対して、何か道を示してやらなければならない年ですから。
「これが絶対正しい」
なんてことは言いたくないけれど、
「あきらめないで」
その願いだけで、今自分の考えを練り続けています。
あきらめたり、投げたりしたら、「虎」に食われてしまう。それだけはわかっているから。
「チ」っす。
三日連続のゴルフでさっき完了しましたが、自分の体でない状態です。
話も国家の主義思想体系にまで煮詰まってのお話ですが、どうしたもんでしょうかね、テポドンの発射自粛に対していきなりの経済制裁の緩和。
悪いとかそう言うことでなく、ミサイルが国際間の政治経済交渉に特効薬になるんかなぁと思いましたね。
ミサイル造ってアメリカまでの射程を確保できれば、結構なカードを握ってることができるんですね。
極端な話ですが、日本が核ミサイル(いつでもできるんだろうけど)をある日忽然と開発作成したと発表したら、どんな対応を受けるんでしょう。
>話も国家の主義思想体系にまで煮詰まってのお話ですが、どうしたもんでしょうかね、
>テポドンの発射自粛に対していきなりの経済制裁の緩和。
いやー、最大限時間を稼ぐ以外に方法がないんだと思います。提示できるソリューション
がないわけだから。とりあえず見守ることしかできないんだと思います。
とりあえず、交渉は任せてしまうほかない。おちついて話し合える環境を与えるほかないと思います。
明日のための世界モデルを考えてゆく、ということこそ我々がいまできる仕事ではないでしょうか。
未来は、われわれの頭の中にこそあるんだと確信します。
そのための議論は、ほら、もうすでにこの居酒屋のいくつかのスレッドで始まっているし、
「酒の肴」「カニ」の盛り上がりも、ひとつの楽しいワールドモデルを共有しているように
感じられます。きっと、ああいう盛り上がりがもっと世界で共有できればいいんでしょうが。
われわれみんなにとって楽しい世界、というより、地球上のすべての人ひとりひとりが
少なくとも一日一度は「幸せだな」と思える程度の幸せな世界でもいいから、目指したいです。
そういう世界って、いったい、どんな世界なんでしょうね。
ミサイルは有効なカードかもしれませんが、持っているということや、ましてや
出してしまうととりかえしのつかないものを賭けのかたにするということを強制
されるカードです。
そんなもの使わないといけないというのは、まともな状態ではない、追い込まれ
た状態であるといえるのではないでしょうか。
追い込まれたい人はどうぞお持ちください。
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