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投稿番号:35917 投稿日:1999年06月24日 21時09分05秒
お名前:憧海
 

教育の場は学校だけか?

キーワード:学校 教師 親

地域:東北


「もこ伝」が登場した2年前の「神戸の事件に思うこと」の書き込みを見ながら、書き込みをしたいと思います。
97年7月4日rockyさんの書き込み「教育の主役は学校なのか親なのか」っていう書き込みなんですけれどもね。

教育の主役は誰なのか...。
教育は三育三場(知育・徳育・体育・地域・家庭・学校)で成り立つと言われます。昔と違って「教育=学校」っていう図式は成り立たないと私は思っています。
たとえば週休二日。また一日24時間のうちで学校にいるのは8時間くらい。後は地域や家庭で過ごす。
そう考えるといじめのアンテナも学校だけでキャッチするのは不可能です。
家庭や地域社会が子どもの教育(人間形成)に関心を持つことが重要であり、形骸化しつつあるPTAのあり方など、それぞれの機能と役割についてもう一度みなさんの意見を聞きたいと思います。


TAKEGONさんからのコメント(1999年06月24日 22時31分48秒)
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>いじめのアンテナも学校だけでキャッチするのは不可能です。

いゃ、、ここで不可能とかたづけるのは、、短絡だと思う。
何故か、、、実際にそれが行われているのは学校だと思うからです。

ただ、肉体的、精神的なダメージを受けたとき、それに気づいてやることは親としての最低条件だと思う。


>教育の場は学校だけか?

うん。前も書きましたが『読み書きソロバンは学校』『躾は親』だと思ってます。

これに対し、『違う』という意見もありましたが、、私は違うとは思っていません。
現実に そうやって育てています。
そんなに優秀ではありませんが、、セガレも次男も 今のところ、まっすぐ に育ってます(^o^)

なるせさんからのコメント(1999年06月25日 17時14分51秒)
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はじめまして。
なるせといいます。
「もこ伝」には何回か投稿していたのですが、こんな伝言板があることを
今知りました。

これからもよろしくお願いします。

私が常々義務教育の意味とは子供に「社会生活」を
するための教育をさせるところ、とおもっています。

読み書きの教養を教えることも大切ですし、躾を教えることも大切です。
ただ学校にいる時間とそうでない時間を考えるならば、学校だけで社会性の
全てを教えることは不可能でしょう。
そこで家庭と学校を結びつけるためにPTAがあるのでは。

学校というのは子供にとっての社会の一部であり、もしくは全てに匹敵する物かも
知れません。というのは大人の場合余暇の過ごし方は必ずしも職場に関係ないところでしょうが
子供の場合放課後に遊ぶのも学校関係の友達だからです。

別の掲示板でベルマークを集めるのは先生の仕事なのになんでPTAの役員が集めないといけないの、
という投稿がありましたが
ベルマーク集めというのは
「ベルマークを集めて学校に必要な備品を購入するという作業を通して子供たちが社会生活の
一端を経験する」ことが目的ではなかったかと思います。
単に備品購入が目的ならベルマーク集めなどやめて寄付金を集める方がよっぽど速くて楽でしょう。

教育というのは子供たちだけに行う物ではありません。全ての人が社会人になってからも
いろんな事を学んでいます。
義務教育における学校教育というのは子供が社会に出てから十分対応できる素地を作る物と
思っていますが。

ただこれだけ個人主義が尊重されている今日社会生活を営むことが必要かという
議論は別ですが。

川崎店長さんからのコメント(1999年06月28日 14時53分35秒)
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>ただこれだけ個人主義が尊重されている今日社会生活を営むことが必要かという
>議論は別ですが。

いや、個人主義が尊重されなければならないからこそ、社会生活は重要になって
くるんだと思います。

個人主義を徹底させるということは、個人の限界を知るということでもあります。
そうなると、1人でがんばらなくてもいいこと、いや、もっと積極的に、
みんなでやったほうが面白いことが出てくるわけで、学校はまさにそういう事を学ぶための
最初の体験の場だと思うのです。

塾がどんなにがんばってもできないこと、それは、個人主義を学ぶことにあると思います。
塾はどうがんばっったって、単一目的のために共存するという程度のことまでしか
学べないが、学校は「先生になりたい」「相撲取りになりたい」「ポケモンになりたい」
というあらゆる将来の楽しみのために生きている人達が、お互い違う目的に進むうえで、
「何が共有できて、何が共有できないか」を学べる場所だと思うのです。

その共有できるものとして、道具としての「学問」があるわけで、その部分を共有して
がんばってゆこう、という所が学校の存在理由だと思います。

ま、今更富国強兵でもないわけですから、どんどん個人主義を学習させるべきだと思います。
全体主義の世界では「他人の痛み」は「自分は痛がってはならない痛み」ですが、
個人主義の世界では「他人の痛み」は「自分にも痛い」ものなのです。

ただ「義務教育」という言葉、いや概念を一度叩いた方がいいかもしれません。
今後も続けるならその理由と効果を。
やめるなら補完すべき何かあるいは補完しなくても言い理由を。

なるせさんからのコメント(1999年06月28日 15時15分45秒)
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なるせです。

川崎店長様

>いや、個人主義が尊重されなければならないからこそ、社会生活は重要になって
>くるんだと思います

そうなんです。
私も本当はそういいたいのです。



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