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「学校って何だろう」・・・教師編@ |
キーワード:先生のゆとり 地域:東北 「HR」・「部活動」・「公務分掌」・「PTA」・「生徒指導(カウンセリング)」・「教材研究」etc、etc...。 教師の1日の仕事は長い。部活動や進学で有名な学校の先生は「朝練習」「課外講座」で、朝7時には出勤。普通通りに授業をこなし、放課後はまた部活・課外講座。 「それにしてもどうして先生方はあんなに疲れているんだろう」−。 「毎朝先生の顔を見るのが嫌でした。いつも怒っているみたいで」−。 子どもたちのなかには、教師の不機嫌な顔・態度に左右され、学校が嫌いになる子もいる。 遅くても朝8時には出勤。授業を終え部活動を終え、学校を出るのは19時頃。その後不登校や非行の子どもたちの家庭を訪問。 21時頃帰宅。翌日の授業の準備を終え寝るのは24時過ぎ。土日も部活動があるため休めない。 地域やPTAでの、部活動に熱心ではない教師の評価は高くない。 先生のゆとり−。当然のことながら、教師に余裕がないうちは生徒に余裕が生まれない。 決めつけられ、厳しい責め方を教師がすれば、子どもの傷は深まる。 ある教師は言う。「40人の登校してくる子どもを犠牲にして、1人の不登校の子の世話は出来ない。1人でも不登校の子がでればお手上げだ」と。 子どもの悩みや苦しみを聞いてあげる時間がない。1人のために他の生徒や授業を犠牲に出来ない。 当然のことながら、教師は「個性尊重」よりも集団で自分の号令を素直に聞いてくれる子が多いことを望む。 そして、個性が強い子を「はみ出し者」とくくってしまうことが多い。 「子どもたちが言うことを聞いてくれない」−。 上司や地域・父母から、指導力のなさを指摘され、悩みやがて学校に行けなくなる教師もいる。 学校の先生方の実態。書いてみました。 不登校や学校を論議するとき、教師って悪役に回されることが多いです。 でも、先生方の勤務実態は意外と知られていないのではと思います。 「学校を考える」上で参考になればと思います。 |
>不登校や学校を論議するとき、教師って悪役に回されることが多いです。
そうですね。
実際、対応が非常に、、「非常に」をつけたい先生の不適切な対応を次男で一回、経験しました。
このことは、もこ伝で「子供の喧嘩 親が出る愚、出ない愚、どうすればグ〜?」で書きました。
その後、もう一回、、ありました。
今年の花見の時期です。セガレが無実の罪で疑いをかけられ、、それに対する対応で、
非常に、、その先生に対し、悲しさを伴う怒りを感じて愕然としたばかりであります。
私はこの子達の「保護者」です。
不当なあつかいを、この子達が受ければ、私は全力で守ります。
親バカですが そういう気持ちは常に持ってます。
ただ、、ことなかれ主義を良しとする。結果良ければそれでよい。問題が表面化しなければそれでよい。
という親や先生が、、世間一般には多いのではないでしょうか?
セガレの事件のことは長くなるので、別の機会に書きます。
とにかく、、花見(夜桜)の時間に一緒によばれた妻と共に大幅に遅れてきた彼は「クヤシーー」と、、
私の同僚、、その家族がいるところで、、思わず悔し泣きをしてしまいました。
(弟と違って感情をあまり出さない彼が 感情をあらわにしたことは、よっぽど悔しかったんだろうと思う)
わたしは「明日、、学校に行こうか?、行って先生に、、何故、こんな理不尽な取り調べをするのか?」
と、聞こうかぃ。と言いましたが、、。
セガレは、「そんな(恥ずかしい)ことは しないでくれーー(笑顔)だって、無実だから」といいました。
ただ、そう言うことで、私の「守る」という気持ちはセガレには通じたと思います。
(セガレは よく日、無実は晴れた!といって元気に帰ってきました。
だって、、毎日部活で、犯行時刻にその場にいることは、不可能なので、、、。)
あっ!ひとつ言いたいことは、だからと言って、先生を非難したいんじゃなくて、、
『悪役』の称号をつけたい先生はたしかに存在する。、、と言うことです。
これとは別に、その『事件』でセガレの立場に立ってくれた水泳部の先生は、、とーーーーても良い先生
ですし、「良い先生」のスレッドも立てたことがありますが、良い先生も大勢います。
私は頭の善し悪しはともかく、「人間としての 優しさや常識」を持たない人は先生になるべきではない。
と思ってます。
親にとって先生の評価はとりもなおさず「自分の子供に対しての態度」以外の
なにものでもないでしょう。
親にとっては自分の子供を通して見るしかないですし
日常生活でも同じ人間に対して他の方が全く別の感じを持つ事が多々あるので
仕方の無いことかも知れません。
人間が人間に対して客観的になどということはあり得ないのですから。
そして、先生は徐々に個性を隠して行くのです。
私が中学3年の時に担任だった先生は授業で「そば打ち」をやりました。
突然「そばってどうやって作られるか知ってるか?」と・・・
「家に石臼がある人は持って来るように。重ければ先生が手伝うから」と・・・
そして、足りない石臼は身銭を切って買って来たのです。
大量の蕎麦の実も身銭で買ってきました。
4〜5人の班を編制して「そば」作りの始まりです。
石臼で指など怪我しないようにとだけ伝え、後は自分たちで考えて作ってみろとの事でした。
私たちは試行錯誤をしながらとても食えたものではない「そば」を一応作りました。
先生は考えた事や作り方を生徒に聞き決して答えを教えず一緒に欠点を考えてまた試行錯誤・・・
そして、美味しい「そば」が出来ました。
最後に「どうだ?たかがそばだけど大変だろう?まだこの前にそばを育てる人も
居るんだぞ」と・・・・
さて、親達の反応は?
「食べ物に対して粗末にしなくなりました。」
「目を輝かせてそば作りを話してくれました」
といった、絶賛ばかりかと思いきや・・
「受験の大事な時期に、こんな事じゃなくて受験に備えた授業にして欲しい」
「そばの作り方など知らなくても高校には行けるし、将来に問題は無い」
といった非難も結構多かったそうです。
前者の親には「良い先生」後者の親には「悪い先生」という評価でしょうね。
その時の校長の対応がこれまたすごいものだったようです。
「学校は規定の事は教えました。それを受験合格に結び付けるのは子供達自身です
そば作りは通常では知り得ない事を学校だから出来た貴重な授業です。
受験用授業よりも数倍大切な授業です」
と非難をはねのけたそうです。
当時は楽しみ半分だった私たちですが、この話を後の同窓会で聞いた時は
この先生達が担任であり、校長であって本当に良かったと思いました。
こんな先生達は、もう化石なのでしょうか?
或いは、こんな授業をすることが許されない世の中なのでしょうか?
何を言いたいのか不明な文章になってしまいましたね・・・
もう少し考えてからまた書きます。
なるせです。
実は私も中学時代担任の先生についての思い出があります。
社会の先生でしたが、社会科の時間に「南京大虐殺」のスライドを
見せたのでした。
それから他のスレッドでも書きましたが、満州事変だったかのことを
戦争と言う言葉を使ったのです。
当時のPTAからは随分問い合わせがあったらしいのです。
でも学年主任の先生が「私が責任取るから好きなようにしなさい」
と言われたらしく、他のクラスでも同じ内容の授業をされました
校長が授業にやってきて中止させたという話も聞いています。
(ここの内容はあくまで私が伝え聞いた話で事実と違うことも
あるかも知れません。)
中学生だった私は先生の意図する内容をくみ取れなかった
かも知れない。
今思うと多分先生は歴史はいろんな面から見ないといけないと
言うことをいわれたのではないかと。
でも当時の受験ではそういうことは通用せず
先生の言われることが教科書に書いてあることと違い
社会の成績は落ちていきましたが
でも最近になってようやく先生の言いたかっただろう事が
見えてきたような気がしました。
その先生も一昨年定年退職されました。
最後の年に中学の学園祭で「南京大虐殺」のパネル展示を
生徒と一緒にされたそうです。
時代が変わったのです。
でも20年近く先生はずっとご自分の意志を貫かれたのでしょう。
授業は受験には全く関係ありませんがその後の人格形成に
大きく関わってきます。(多分今の自分を見ると随分影響を
受けていると思います。)
先生がいて、それを見守る管理職がいて、PTAがいて
それでもって生徒がすくすく育てばばんばんざい。
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